師匠シリーズ。
「『依頼』1/2」の続き
【霊感持ちの】シリーズ物総合スレ9【友人・知人】
887 :依頼 ◆oJUBn2VTGE:2009/06/06(土) 23:48:03 ID:+FnIW24p0
様々な内容の依頼が、半ばダメ元で持ち込まれてくる中で、当然重犯罪に絡むことは受けられないし、
(念のため聞き直すと、めんどくさそうに「うん、軽も駄目だ」と小川さんは言った。
この辺が零細の悲哀なのかも知れない)
それから、写真を見せて『この猫がうちの花壇を荒らすから懲らしめてくれ』といった、
しようもない仕事も基本的には受けない。
興信所を信用せず、最低限の情報さえくれない依頼人も多い。
中には、連絡先さえ教えてくれない依頼人もいたそうだ。
「必要があればこちらから連絡をとる」と言って。そういうときは丁重にお帰りいただくしかない。
「それから、依頼内容が不可解なケース」
小川さんは『お手上げ』というようにおどけたポーズを取り、胸のポケットを探る。
「五年前に死んだはずの父が、生前親しかった友人たちの前に姿を見せて、お金の無心をして回ったらしいけれど、
どうして娘の私のところへ来てくれないのか?
父にもう一度会いたい。捜してほしい。……なんて、知るかよ!
戸籍抄本取って、
『確かに死んでますから、ご希望には沿わない結果になって申し訳ありません』
って言って、基本料金だけ貰って業務完了だよ。
一日も掛らない仕事だ。楽だけど割に合わないね」
煙草に火をつけて、深く息を吐く。
「それを、親子の再会まではさせられないが、
死んでいる父がどうして金の無心をしに、迷い出てきたのかを説明できるのが、こいつってわけだ」
師匠は涼しい顔でカップを傾ける。
「こんな不可能ケースで成功報酬までぶんどれるんだから、特殊な技能と言わざるを得ないな」
やがて、そうした非常識な依頼が大手の興信所をたらい廻しになった挙句、
小川調査事務所に持ち込まれることが多くなった。
今では『オバケならあそこ』と、近隣の業界内では密かに陰口を叩かれているそうだ。
888 :依頼 ◆oJUBn2VTGE:2009/06/06(土) 23:49:39 ID:+FnIW24p0
『オバケ』は、そうした不可解なケースの符牒だ。
「それでも、こんな貧乏事務所には、仕事を回してもらえるだけでもありがたい話だ」
「でも最近、全然お声が掛らなかったんだけど」
師匠が不服そうに言う。
それで得られるバイト代をあてにしていたから、あの無残な生活費の困窮があったのか。
「ボクとしては、普通の依頼ばかりで安心してたがね。そんな依頼ばかりになったら看板を下ろすよ。
それで、事務所を譲って引退だ」
そう言って師匠を指さす。
師匠は気のないそぶりで三人のカップを持って、流しのあるらしい隣の部屋へ消えていった。
電話が鳴る。
小川さんが自分のデスクに回って取る。
他のデスクの電話機は鳴っていなかった。ただの飾りらしい。
他のデスクにしても、所員が所長一人ではいらないだろうに。依頼人の前で見栄を張りたいのだろうか。
小川さんは電話の相手に随分へりくだった口調で応対し、ペコペコ謝るようにして電話を切った。
そして僕の視線に気づいて、声を出さずに唇をゆっくりと動かす。
ヤ・ク・ザ
その三文字に見えた。からかわれているのかも知れない。
「依頼人は?」
戻ってきた師匠に訊かれ、小川さんは腕時計を見る。
「もうそろそろ約束の時間だ」
師匠が小川さんのヨレヨレのネクタイを指さし、直させる。
889 :依頼 ◆oJUBn2VTGE:2009/06/06(土) 23:52:38 ID:+FnIW24p0
それから十分ほどして、事務所のドアが開いた。
「タカヤ総合リサーチから言われて来たんだけど」と、その女性は言った。
その瞬間だ。
ドアと彼女の足元の隙間から、何か小さいものが滑り込むように入ってくるのが見えた。野良猫だ。
そう思って、訪問者そっちのけで部屋の隅をキョロキョロしていたが、どこに隠れたのか見つからない。
「どうぞ」と小川さんは来客用の椅子を示し、師匠に目配せして、二人でその向かいの椅子に座る。
僕は空いているデスクで仕事をするふりをしながら、横目でその様子を見ていた。
「どうしてこんな所まで足を運ばなくてはならなかったか、説明して」
依頼内容を口にする前に、女性は苛立った口調でそう言った。
小川さんが「依頼内容によっては、動ける人員がたまたまいないということもありますし」と、
彼女がここに来るまでに断られたであろう、別の興信所の弁解を低姿勢で繰り返す。
ヨコヤマ、と名乗ったその依頼人は、「もういい」と吐き捨てるように言って、
膝に抱いていた自分の鞄を探りはじめた。
僕は依頼人の横顔に、何か言葉にしにくい異様さを感じていた。
三十代半ばのように見える彼女は、身につけている服こそ当たり障りのない地味な印象のスーツだったが、
その化粧気の薄い顔は嫌に青白く、勘気の強さを際立たせているようだった。
そして何より、後ろで束ねた髪の毛の一部が一筋だけ顔に垂れて、それが頬に張り付いているのが、
彼女の異常さを物語っていた。
890 :依頼 ◆oJUBn2VTGE:2009/06/06(土) 23:55:36 ID:+FnIW24p0
単に髪の毛の身だしなみの問題ではない。
気付かないはずはないのに、横顔に垂れた髪の毛を貼り付けたままそれを直そうとしない、
彼女の心理の停滞が問題なのだった。
内心、めんどくさそうなのが来やがったと思っているに違いないのに、
それを全く表情に出さない小川さんは、さすがプロだと変な感心をしてしまう。
「これよ」
依頼人は鞄から布のようなものを取り出してテーブルに置いた。
ベビー服のようだった。
「私のお付き合いしている男性の車に、これがあったのよ」
「と、言いますと?」
「鈍いわね。どうして分からないの」
依頼人はそう言ってなじると、鞄の口を乱暴に閉じる。
「あの人は、私には独身だ未婚だなんて言っておいて、子どもがいたってことよ。許せることではないでしょ」
「はあ。これはその方から借りたんですか」
「そんなわけないでしょ!」
黙って取ってきたわけだ。
だいたいどういう話か分かってしまったが、
これでは仮に身辺調査の依頼を受けたとしても、
彼女がそうした疑惑を持った事実も、相手方に筒抜けになってしまった可能性が高い。
素人考えだが、彼女のその軽率な行動の時点で、依頼を拒否する理由としては十分な気がする。
「で、どうされたいんです」
依頼人は小川さんを睨みつけるようにしながら、その男性と子どもの関係を確認するようにと言った。
依頼というよりまるで命令だ。
僕は小川さんがいつ切れて、この勘違いした女を事務所から蹴りだすかと思ってハラハラしていた。
892 :依頼 ◆oJUBn2VTGE:2009/06/07(日) 00:01:26 PyPRRLYk0
ふいに動くものの気配を感じて、あたりを見回す。
そう言えば、野良猫はどうしただろう。
僕は目立たないように自然に振舞いながら席を立って、猫を探した。
デスクの下に屈んで覗き込んだとき、暗がりに二つの光を見つけた。
いた。
でも捕まえようとすると、ちょっとした騒ぎになるのは目に見えていたので、
この噛み合わない会談が終わるまで待つことにした。
「そうですね。当事務所の規定では、このくらいの料金なんですけれど、見えますか?
一日当たりの基本料金がこちらで……」
ラミネート加工された料金表らしきものを睨んで、
「高いわね。どうせこれに必要経費とか言って、喫茶店のコーヒー代とか入ってくるんでしょ」
そう言えば、依頼人に飲み物も出してないな。
師匠が同じ席についてしまっているので、お茶くみは僕の役回りなのだろうかと気を揉んでいると、
依頼人が苛々した口調で、「これでいい」と料金表を叩くのが見えた。
その時、気持ちの悪い感覚に襲われた。
すぐそばのやりとりが遠退いたような感じ。空虚で、中身のない感じ。
これは一体何だ。
自分の呼吸音だけが大きくなる。
パクパクと依頼人の口が動く。言葉がよく聞こえない。
こういう時は、なにか見落としていることがある。
早く気づかなくてはならない。
頭が回転する。
分かった。
師匠が呼ばれた理由がない。
ここまでは、依頼人の人となりこそエキセントリックだが、依頼内容はありふれたもののようだ。
894 :依頼 ◆oJUBn2VTGE:2009/06/07(日) 00:08:19 PyPRRLYk0
これでは『オバケ』専門の加奈子さんに仕事が回されてきた意味がない。
「どうなの。いつまでに結果を出せるの」
依頼人がもうすでに契約が完了したような物言いをしているのが聞こえた。
「こちらのスケジュールも確認してみませんと、そちらの希望に添えるかどうかもまだ……」
そう言う小川さんの袖を、師匠が引いているのが目に入った。
そして「少々お待ち下さい」と、二人して立ち上がる。
一番離れた奥のデスクに行き、何かのファイルを二人で覗き込む。
広げたファイルなど見ていないことは目の動きで分かる。
僕もそちらに近づく。
師匠が声をひそめる。
「受けない方がいい」
「どうしてだ」
「あの女は嘘をついている」
「どういうことだ」
「ベビー服に、微かに血を拭ったような跡がある」
ゾクリとした。
「それに、見えた」
「なにが」
「ベビー服の中身。ここに来ている。あの女についてきた」
師匠が僕の顔を見た。
すぐに思い当たる。
野良猫ではなかったということか。
もうデスクの下は覗けそうにない。
「何を企んでいるのかわからないけど、第三者に『発見』させるつもりかも知れない。
とにかく、関わらない方がいい」
896 :依頼 ◆oJUBn2VTGE:2009/06/07(日) 00:10:47 PyPRRLYk0
小川さんはじっと師匠の横顔を見つめた後、「わかった」と言った。
「あとはまかせろ」
小川さんはイライラと足を動かしながら、椅子に座っている依頼人の元へ一人で戻って行った。
依頼人が喚きながら去って行った後、ようやく静かになった事務所で僕らは息をついた。
「警察へは?」
師匠がデスクに腰を乗っける。
「あとで、匿名で情報提供しておく」
小川さんが疲れたような声を出した。そして煙草に火をつけながら、誰にともなく訊く。
「赤ん坊は?まだいるのか」
師匠が視線を僕に迂回させる。
「ついて出ていきました。一瞬だったけど、たぶん」
ふぅと煙を吐き出して、小川さんは胸の前で十字を切る真似をする。
依頼人にここを紹介したタカヤ総合リサーチという興信所は、元々小川さんが所属していたことがあるらしく、
よくこんな仕事を回してくれるのだそうだ。
そのタカヤ総合リサーチから電話が入った。
小川さんが明るい声でやりとりをしたあと、受話器を置く。
「オバケっぽくないケースだったけど、市原女子の第六感が働いたんだと」
市原さんという名物事務員がいるそうだ。聞いたところによると、世話好きなオバサンという印象。
「市原さん、ファインプレーだったな」
師匠がおかしげに言った。
898 :依頼 ラスト ◆oJUBn2VTGE:2009/06/07(日) 00:14:39 PyPRRLYk0
小川さんが財布を取り出して、千円札を何枚か師匠の胸元に近づける。
「今日は悪かったな。足代だ。血色が悪いぞ。ちゃんと食え」
「ありがとう」
師匠は無造作にそれを仕舞う。
「バイトする気があるなら、名刺を作っといてあげるよ」
おもいきり不定期だけど。そう言って小川さんは、案外真面目な顔で握手を求めてきた。
僕はその手を握る。
「下請けの下請けのバイトの助手だ」
その横で師匠が、手を叩いてそんなことを言いながら、やけにはしゃいでたのをよく覚えている。
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