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『土の下』2/2

師匠シリーズ。
「『土の下』1/2」の続き
【霊感持ちの】シリーズ物総合スレ14【友人・知人】

739 :土の下   ◆oJUBn2VTGE :2010/09/26(日) 21:34:41 ID:Lt8tjlVs0
「それでも、その人がいたという証に、こんな小さな墓が残っている」
苔むした石の台座に線香が二本。煙がゆったりと立ち上っている。師匠は腕を伸ばし、線香に水を掛けた。
「こうして手を合わせる人だって、気まぐれにやってくる」
さあ帰ろうか。と言って立ち上がった。僕も慌ててリュックサックから出したものを片付ける。

帰り道は真っ暗で、持参していた懐中電灯をそれぞれ掲げた。
来た時とは違う道だ。師匠は「近道のはずだ」と言う。
足元にも気を付けつつ、師匠の背中を見失わないように、見通しの悪い下り坂を慎重に歩いたが、
心はさっきの小さな墓に繋ぎ止められていた。
その人がいたという証か……
『死は死を死なしむ』という言葉がふいに浮かんだ。誰かの詠んだ歌だったか。
人が死ぬということは、その人の心の中に残っている、かつて死んだ近しい人々の記憶が、
もう一度、そして永遠に揮発してしまうということだ、という意味だったと思う。
さっきの墓の主も、きっともうなんの記録にも、そして誰の記憶にも残っていないだろう。
それでも石は残る。
その意味を考えていた。

ぼうっとしていると、師匠の声が遠くから聞こえた。
「おい」
我に返ると、師匠が道の途中で立ち止まり、藪の切れた脇道の方に懐中電灯を向けていた。
「どうしたんです」
横顔が心なしか緊張しているように見える。
「自殺だ」
「えっ」
驚いて駆け寄る。
草が生い茂り、一見しただけは道だと思わないような場所に、誰かが通ったような痕跡が確かにある。
踏まれて倒れた草の向こうに懐中電灯を向ける。
師匠と僕の二つの光が交差し照らし出される先には、宙に浮かぶ人影があった。
首吊りだ。
思わず生唾を飲み込む。
窪地の木の下に、人がぶらさがっている。


740 :土の下   ◆oJUBn2VTGE :2010/09/26(日) 21:38:32 ID:Lt8tjlVs0
ガサリと音がして、横にいた師匠がそちらに向い動き出す。止める間もなかった。
僕は一瞬怯んだ。
ひと気のない夜の山中に、人の形をしたものが、人工の明かりに照らされて空中にある、
ということが、これほど怖いものだとは。
まだしも、ぼんやりとした霊体を見てしまった、という方がましな気がした。
それでも師匠の背中を追って足を踏み出す。軽い下り坂になっている。
青っぽいポロシャツにジーンズという服装がほぼ正面に現れる。その姿が後ろ向きであることに少しホッとした。
さらに坂を下り近づいて行くと、かなり高い位置に足があることに気づく。背伸びをしても靴に手が届かない。
死体のベルトの位置に張り出した枝が一本。
きっとあそこまで木登りをして、枝に足をかけた状態から落下したのだろう。
恐れていた匂いはない。
春とはいえこの気温の高さだから、二,三日も経っていれば腐敗が進んでいるはずだ。
首を吊ってからそれほど時間が経っていないのかも知れない。
だが、シャツから出ている手は嫌に白っぽく、血の通った色をしていなかった。
師匠は前に回り込んで、首吊り死体の顔のあたりに懐中電灯を向けている。
そして「おお」という短い声を発して、気持ち悪そうに後ずさった。
僕は同じことをする気にはなれず、その様子を見ているだけだった。
やがて、一頻り死体を観察して満足したのか、師匠は変に弾んだ足取りでその周囲をうろうろと歩き回り始めた。
「下ろしてあげた方がいいでしょうか」
僕はそう言いながらも、あの高さから下ろすのはかなり難しそうだと考えていた。
高枝切バサミかなにかでロープを切るしかなさそうだ。
「まあ待てよ」
師匠はなにか良からぬことを企んでいるような口調で、腰に巻いたポシェットの中を探り始めた。
さっきまで見ず知らずの人の小さな墓に手を合わせていた人間と、同一人物とは思えない態度だ。
この二面性がらしいといえばらしいのだが。
「お、偉い、自分。持ってきてた」
おもちゃの様な小さなスコップが出てきた。
師匠はそれを手に、首吊り死体の真下のあたりにしゃがみ込む。
そして右手にスコップを振りかざした状態で、くるりと首だけをこちらに向ける。
「面白いことを教えてやろう」


742 :土の下   ◆oJUBn2VTGE :2010/09/26(日) 21:45:27 ID:Lt8tjlVs0
その言葉にぞくりとする。腹の表面を撫でられたような感覚。
ズクッと、土の上にスコップが振り下ろされる。
落ち葉ごと地面が抉られ、立て続けにその先端が土を掘り返していく。
「こんぱくの意味は知っているな」
手を動かしながら師匠が問い掛けてくる。
魂魄?たましいのことか。
確か『魂(こん)』の方が心というか、精神のたましいのことで、
『魄(はく)』の方は、肉体に宿るたましいのことだったはずだ。
そんなことを言うと、師匠は「まあそんな感じだ」と頷く。
「中国の道教の思想では、魂魄の『魂』は陰陽のうちの陽の気で、天から授かったものだ。
 そして『魄』の方は陰の気で、地から授かったもの。
 どちらも人が死んだ後は、肉体から離れていく。だけどその向かう先に違いがある」
口を動かしながらも、黙々と土を掘り進めている。
僕はその姿を少し離れた場所から、懐中電灯で照らしてじっと見ている。
師匠の頭上には山あいの深い闇があり、その闇の底から人の足が悪い冗談のようにぶらさがって伸びている。
寒気のする光景だ。
「天から授かった『魂』は、天に帰る。そして地から授かった『魄』は、地に帰るとされている。
 現代の日本人はみんな、人が死んだあとに、たましいが抜け出て天へ召されていくという、
 テンプレートなイメージを持っているな。
 貧困だ。実に」
なにが言いたいんだろう。ドキドキしてきた。
「別に、『人間の死後はこうなる』ってハナシをしたいんじゃないんだ。
 ただ、経験でな。何度かこういう首吊り死体に出くわしたことがあるんだ。
 そんな時、いつもある現象が起こるんだよ。それがなんなんだろうと思ってな」
スコップを振る腕が力強くなってきた。
「同じ首吊りでも、室内とか、アスファルトやらコンクリの上だと駄目なんだよな。
 だけどこういう……土の上だと、たいてい出てくるんだ。死体の真下から」
ひゅっ、と息が漏れる。
自分の口から出たのだと、しばらくしてから気づく。
さっきまで汗にまみれていたのが嘘のように、今は得体の知れない寒気がする。
「お。出たぞ。来てみろ」
師匠がスコップを放り投げ、地面に顔を近づける。


743 :土の下   ◆oJUBn2VTGE :2010/09/26(日) 21:49:21 ID:Lt8tjlVs0
なんだ。なにが土の下にあるというのだ。
動けないでいる僕に、師匠は土の下から掬い上げたなにかを右の手のひらに乗せ、
こちらに振り向くや、真っ直ぐに鼻先へつきつけてきた。
茶色っぽい。なにかとろとろとしたもの。指の隙間から、それが糸を引くようにこぼれて落ちていく。
「なんだか分かるか」
口も利けず、小刻みに首を左右に振ることしかできない。
「私にも分からない。でも、首吊り死体の下の地面には、たいていこれがある。
 これが場所や民族、人種を超えて普遍的に起こる現象ならば、
 観察されたこれには、なにか意味があるものとして、理由付けがされただろうな。
 ……例えば、『魄』は地に帰る、とでも」
とろとろとそれが指の間からしたたり落ちていく。まるで意思を持って手のひらから逃れるように。
「日本でもこいつの話はあるよ。『安斎随筆』だったか、『甲子夜話』だったか…… 
 首吊り死体の下を掘ったら、こういうなんだかよく分からないものが出てくるんだ」
師匠は左目の下をもう片方の手の指で掻く。
嬉しそうだ。尋常な目付きではない。
僕は自分でも奇妙な体験は何度もしたし、怪談話の類はこれでも結構収集したつもりだった。
なのにまったく聞いたこともない。
想像だにしたことがなかった。首吊り死体の下の地面を掘るなんて。
なぜこの人はこんなことを知っているんだ。
底知れない思いがして、恐れと畏敬が入り混じったような感情が渦巻く。
「ああ、もう消える」
手のひらに残っていた茶色いものは、すべて逃げるように流れ落ちてしまった。
手の下の地面を見ても、落ちたはずのその痕跡は残っていない。どこに消えてしまったのか。
「地面から掘り出すと、あっと言う間に消えるんだ。もう土の下のも全部消えたみたいだ」
師匠はもう一度スコップを手にして、土にできた穴の同じ場所に二,三度突き入れたが、やがて首を振った。
「な、面白いだろ」
そう言って師匠が顔を上げた瞬間だ。
強い風が吹いて、窪地の周囲の木々を一斉にざわざわと掻き揺らした。思わず首をすくめて天を仰ぐ。


745 :土の下  ラスト  ◆oJUBn2VTGE :2010/09/26(日) 21:55:09 ID:Lt8tjlVs0
ハッとした。
心臓に楔を打ち込まれたみたいな感覚。
地面に向けている懐中電灯の明かりにぼんやりと照らされて、宙に浮かぶ首吊り死体の足先が見える。
朽ちたようなジーンズと、その下の履き古したスニーカーが先端をこちらに向けている。
さっきまで死体は背中を向けていたはずなのに。
懐中電灯をじわじわと上にあげていくと、死体の不自然に曲がった首と、俯くように垂れた頭がこちらを向いている。
髪がボサボサに伸びていて、真下から覗き込まないと顔は見えない。
風か。風で裏返ったのか。
背筋に冷たいものが走る。
首を吊ったままの身体は、その手足が異様に突っ張った状態で、頭部以外のすべてが真っ直ぐに硬直している。
風でロープが捩れたのなら、また同じように今度は逆方向へ捩れていくはずだ。
そう思いながら息を飲んで見ているが、首吊り死体は垂直に強張ったまま動く気配はなかった。
その動く気配がないことがなにより恐ろしかった。
僕の感じている恐怖に気づいているのかいないのか、師匠はこちらを向いたまま嬉々とした声を上げる。
「どっちだろうな」
そう言ってニコリと笑う。
どっちって、なんのことだ。
天を仰いでいた顔を、ゆっくりと師匠の方へ向けていく。首の骨の間の油が切れたようにギシギシと軋む。
「誰かが首を吊って死んだから、さっきのへんなものが土の下に現れるのか。それとも……」
師匠はそう言いながら、自分の真上を振り仰いだ。
そして、頭上にある死体の顔のあたりを真っ直ぐに見る。視線を合わせようとするように。
「あれが土の下にあるから、人がここで首を吊るのか」
なあ、どっちだ。そう言って死体に問い掛ける。
肩が手の届く位置にあれば、親しげに抱いて語り掛けるような声で。

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