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『通夜』2/3

師匠シリーズ。
「『通夜』1/3」の続き
死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?231

870 :通夜  ◆oJUBn2VTGE:2009/11/14(土) 00:18:45 ID:wTRxtdGI0
師匠から聞いた話だ。

大学一回生の冬だった。
バイトの帰り道、寒空の下を俯いて歩いていると、闇夜に浮かび上がる柔らかい明かりに気付いた。
提灯だ。
住宅街の真ん中に大きな提灯が立っていて、その周りにはいくつかの影が蠢いているのが見て取れた。
「お通夜だな」
隣を歩いていた女性がぼそりと言う。
加奈子さんというさっきまで同じバイトをしていた仲間で、その家まで送って帰るところだった。
近づくにつれて提灯の表面に『丸に桔梗』の家紋が浮かび上がってくる。
その抑えた黄色い光にはなんとも言えない物悲しい風情があって、なんだかこっちまでしんみりしてしまった。
その提灯が飾られる家の門の前で、黒いスーツ姿の人々がひそひそと何ごとか交し合っている。
立派な日本家屋で、門の前を通る時にこっそり中を覗き込んでみると、
門と広々とした玄関の間の石畳にテーブルが置かれていて、そこにも多くの人々がたむろしていた。
お通夜の受付なのだろう。


871 :通夜  ◆oJUBn2VTGE:2009/11/14(土) 00:22:23 ID:wTRxtdGI0
目を凝らしていると受付の若い女の人と目が合ってしまい、彼女の『どうぞ』というジェスチャーに対して、
聞こえる距離ではないのに「いや、違うんです」と、小声で言い訳をしながらその場を離れた。
「珍しいか、お通夜が」
「別に」
そう答えながら僕は、最後に行ったお通夜はいつ誰の時だっただろう、ということを思い出そうとしていた。
ざわざわした気配が遠ざかっていくのを背中に感じながら歩いていると、
加奈子さんがふと立ち止まったのが分かった。
振り向いて『どうしたんです』と言おうとすると、
その目が横の暗闇の方へ向けられているのに気づいて口をつぐんだ。
気持ち足音を殺して近づいて行き、視線の先を追うと、そこには明かりのない狭い路地が伸びていた。
お通夜をしていた家をぐるりと取り囲む塀と、隣の家の垣根に挟まれた小さな空間だった。
街灯から離れていて、夜目にも視界がはっきりしなかったが、
その路地を塞ぐように、なにかの木箱や粗大ごみにしか思えないようなものが置かれているようだった。
たまたま置き場に困ったものを、ひとまず置いてあるようにも思えたし、
ここを通したくないという、暗黙の意思表示にも思えた。
その木箱の奥に、微かに淡い月光を反射するものが見えた。
なんだろうと思って首を伸ばそうする横で、加奈子さんがゆっくりと近づいて行った。
古ぼけたソファーが斜めに塀に立てかけられていて、道を塞いでいる。
その手前まで来ると、光がその向こうの木箱の後ろに隠れる誰かの瞳だと分かる。
怯えたように瞬いた光が、それでも僕らがこれ以上近づいてこないと分かったのか、静かにこちらを向いている。
「どうしたの」
加奈子さんが呼びかける。
しばらくして「隠れてるの」と言うか細い声がした。女の子の声だった。
「どうして」
その問いには答えは返ってこなかった。


872 :通夜  ◆oJUBn2VTGE:2009/11/14(土) 00:24:30 ID:wTRxtdGI0
風が冷たい。誰も動かず、ただ静かな時が流れた。
やがてその空気を切り裂くように、塀の向こうから大きな怒鳴り声が響いてきた。
「サチコッ、どこ行ったの。サチコ!」
その声にビクリと反応して、木箱の後ろにさらに身体を縮込ませる気配があった。
塀の方に目をやった加奈子さんがぽつりと言う。
「今のはお母さん?お母さんから隠れてるの?」
じっと待っていると、やがてほうと漏れるように小さな声がした。
「怖いの」
「怖い?お母さんが?」
かぶりを振る気配。
待っても返事はなかった。加奈子さんは腰に手を当てながら続ける。
「こんなことにずっといたら風邪引くよ。今、お通夜をやってるよね。行かないの?」
お通夜。
そうか。この子はお通夜が怖いんだ。僕は一人合点した。
自分にも経験がある。
死んだ人間の顔を見たり、そのそばで夜を明かすという風習をはじめて知った時は、わけもなく怖くなった覚えがある。
昨日まで息をしていた肉親が、もう動かない死体になってそこにあるという恐怖。
この小さな女の子の心中を思うと、なんだかこっちまで陰鬱な気持ちになってきた。
「ねえ、なにが怖いの。教えてくれない?」
加奈子さんはその場に屈み込んで、教えてくれるまで動かないぞという意思を示した。仕方なく僕もそれに習う。
本当は早く帰りたかった。寒い。もっと厚着してくれば良かったと今さら後悔する。
やがて木箱の後ろに隠れたまま、ぽつりぽつりと震える声で女の子は語り始めた。
冷たい風に身体を小さくして仕方なくそれを聞いていると、ふいにぴたりと膝の震えが止まった。
かわりに身体の中からもっと冷たいなにかが、じわりじわりと沸いてくるのを感じていた。

女の子が語ったのは奇妙な話だった。
祖父の死に出くわした彼女が、それを家族に告げる前に、祖母の形見だという真珠の指輪を盗んでしまう。
その時彼女の耳は、死体だと思っていた祖父の喉から発せられる『ぶぶ』という気味の悪い音を聞く。


873 :通夜  ◆oJUBn2VTGE:2009/11/14(土) 00:28:52 ID:wTRxtdGI0
怯えて逃げ出した彼女が自分の部屋でうずくまっていると、やがて家族が祖父の死に気づき大騒ぎになる。
そのさなか祖父の部屋に戻った彼女は、元通りになった箪笥を目にする。そして忽然と消えてしまった巾着袋。
まるで死んでいたはずの祖父が片付けてしまったかのように……    

語り終えた女の子が、息を飲むように小さな音を立てる。
ゾクゾクした。思いもかけない話だった。
彼女の話を聞く限り、祖父の死因は吐瀉物を喉に詰まらせての窒息死だろう。
その様子の描写からして、その時点で死んでいたのはまず間違いないと思われる。
その死体の喉から音がして、残されたはずの袋は消え、箪笥は片付けられていた。
このことから導き出されるのは、どう考えても薄ら寒い想像ばかりだった。
もし仮に祖父が生きていたなら、
彼女はその目前で彼を助けようともせず、大切にしてた形見の指輪を盗んでしまったのだ。
その後、ほどなくして本当に息絶えてしまう祖父の死に際に、とんでもない罰当たりなことをしてしまったことになる。
そんな彼女の心中を思うと、胸がしめつけられるように痛んだ。
そしてもし仮に、祖父が初めから死んでいたとすると……
自分の周囲の暗闇が一層濃くなった気がして、そっと息を吐く。
師匠はこの話を聞いてどう思っただろうと、横目で伺う。
加奈子さんはこうした話を蒐集するマニアで、僕は彼女を師匠と呼んで憚らなかった。
「その、巾着袋は結局箪笥の中に戻ってたの?」
その師匠が闇に向かって静かに問い掛けた。
沈黙が続いたが、やがてぽつりと返答があった。
「うん」
「指輪は?」
「……戻した。あとで」
「怖くなったから?」
「……うん」
「お医者さんは、おじいちゃんのことをなんて言ってた」
「……ちっそく、だって」


874 :通夜  ◆oJUBn2VTGE:2009/11/14(土) 00:35:46 ID:wTRxtdGI0
「死亡推定時刻……ううん、死んだ時間は?」
かぶりを振る気配。
師匠は少し黙った。
塀の向こうでは、その死を悼むお通夜が営まれている。吐く息が冷たい。
生きていたのか。死んでいたのか。
そのどちらも、女の子にとって救いのない答えだった。
その子がお通夜に出ることもできず、ここでこうしてうずくまっていることを思うと、どうしようもなく哀しくなる。
きっと祖父の死顔を見ることができないのだろう。
祖父の死に際して自分のしたことが、彼女をこれからも苛み続ける。
そう思っていた時、僕の中に一筋の光が見えた。
そうだ。祖父は戻したのだ。巾着袋を箪笥に。何ごともなかったかのように。
そう。孫娘の盗みという悲しい行為もなかったようにだ。
他の家族に知られぬように、祖父は今際のきわに最後の力を振り絞って孫をかばったのだ。
あるいは、すでに息を引き取っていながら、その死体が動き……
その光景を想像し、ぞくりと肩を竦める。
ともかく嘘でも何でも、僕はこの想像に飛びつくしかなかった。
これしか目の前でうずくまる女の子を救う方法が思いつかなかった。
「あのさ」
口を開きかけたその僕を、師匠の片手が制した。『黙っていろ』という目つきで睨みつけられる。
なぜか分からず困惑する僕を尻目に、師匠はたった一言木箱の向こうに問い掛けた。
「お父さんは、こう言ったんだね。『おやじが死んでる、はやく来てくれ』って」
それを聞いた瞬間、全身の毛が逆立つような気がした。
質問の真意は分からない。分からないまま、僕はなにか恐ろしいことが始まるという予感に身体を縛られてた。
木箱の向こうから返答がある。
「そう」
「あなたはそのあと耳を澄ましていた。そうね?」
「うん」

「『通夜』3/3」に続く

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