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『古い家』2/3

師匠シリーズ。
「『古い家』1/3」の続き
【シリーズ】連作怪談を語るスレ【作者・主題】

540 :古い家   ◆oJUBn2VTGE:2008/06/29(日) 00:25:08 ID:9x5Yw4U+0
ただ僕と同じように、そこかしこに光から逃げるような影があるような気がしたのか、
師匠はむやみたらと明かりを四方八方に向けては、「うぅ」と唸っている。
店の正面玄関にあたる戸の裏側(『醤』の字が書かれていた戸か?)には、
やはり頑丈そうなつっかえ棒が何重にもしてあるのが見えた。
こっちに全力で体当たりしてたら、と思うと僕はぞっとした。

その後も二人で家の中の小部屋などを探索したが、なにも目立った成果はなかった。
つまり、『この世のものとは思えない呻き声が聞こえる』という噂にまつわるような何事も起きなかったし、
何も見つからなかった。
「人の気配はまったくないですね」
僕の囁きに師匠は「う~ん」と首を捻る。なにかに合点がいかない様子だ。
確かにこんなところまで遠征して来て、不法侵入までしてなにもなかったでは、納得がいかないのだろう。
そう思っていると、師匠が首を捻ったままポツリと呟いた。
「2階へはどうやって上るんだ」
ゾクッとした。
2階?
外から見えていた2階の格子戸。あの奥には部屋があるはずだ。
あそこへはどうやって上る?
この家には階段がないじゃないか。
見落としがあったのかも知れない。そう思って、もう一度家の中をぐるりと回る。
しかし、階段はおろか、その跡さえ見つからなかった。
「こういう造りの家だと、階段はどこにあるのが普通なんだ」
師匠の言葉に答える。
「たいていは店の間の端です。まあ台所の横にあったりもしますが」
「ないじゃないか。どこにも」


541 :古い家   ◆oJUBn2VTGE:2008/06/29(日) 00:28:10 ID:9x5Yw4U+0
おかしい。
縄梯子で出入りでもしているのかと思って天井を観察したが、そんな痕跡は見当たらなかった。
ひょっとして、家の外側から架け梯子などで出入りしていたのではないか。
そう思いはじめた頃、僕の耳は魂の芯が冷えるようなものを捉えた。
うううううう
…………
そんな呻き声がどこからともなく聞こえた気がした。
思わず身を硬くする。
気のせいじゃない。その証拠が僕の目の前にある。
師匠が口唇に人差し指をあてて、険しい表情で姿勢を低くしているからだ。
静かに。
そう僕に目で指示をしてから、師匠はゆっくりとすり足で進み始めた。
嫌な汗がこめかみを伝う。
僕らがいた店の間から通りにわに入り、懐中電灯の丸い光がつくる埃の道を息を殺して進む。
急に暗闇が深くなった気がした。
室内には、単一の光源では届かない闇があるのだと、今更ながら思い知る。
一瞬目を離した隙に、その闇の中へなにかが身を隠したような想像が沸き起こる。
うううううう
…………
微かな呻き声に耳をそばだてながら、師匠が足を止めた。
最初に上った座敷の前だ。
ゆっくりと畳に足を乗せ、師匠は座敷に上り込んだ。
たわんだ畳に引っ張られるように、骨だけの障子がカタリと音を立てた。
「おい」という押し殺した声に引っ張り上げられて、僕も座敷に上る。


542 :古い家   ◆oJUBn2VTGE:2008/06/29(日) 00:31:15 ID:9x5Yw4U+0
師匠は部屋の隅の押入れの跡に光を向ける。
取り外されたのか襖もない。ただ部屋にぽっかりと開いた穴のような空間だった。
まだ呻き声は続いている。
しかも、明らかに近くなったようだ。
師匠が押入れの床をモゾモゾと撫で回していたかと思うと、
ズズズ……という木が擦れるような音とともに、目に見えない空気の流れが顔に押し寄せてきた。
師匠が僕の方を振り返る。
そして、押入れの床を明かりで照らす。光はある一点で吸い込まれるように消えている。
そこには隠し板の蓋を外された穴があった。大きさは人が優に入り込めるほどのもの。
師匠の身振りに近くへ寄った僕は、その穴の中を恐る恐る覗き込んだ。
そこには地下へ伸びる木製の階段があった。
空気が吹き上がってくる。
うううううう
…………
空洞を抜ける風の音。
これが唸り声の正体か。
ごくりと唾を飲み込む僕に師匠が囁く。
目を爛々と輝かせて、「さあ、行こうか」と。

僕は思い出していた。
父方の祖父の家にある古い土蔵。その奥に地下へ伸びる隠された階段がある。
その下には秘密の部屋があり、巨大な壷が置いてあった。
子どものころ、父に連れられてその階段を降りる時の、
あの、気づかないほどゆるやかに、少しずつ自分が死んでいくような感覚。
いたずらを叱られた僕は、父にその壷の中へ押し込められるのだ。


543 :古い家   ◆oJUBn2VTGE:2008/06/29(日) 00:36:59 ID:9x5Yw4U+0
壷はあんまり静かに立っているので、座っているように見える。と言ったのは誰だったか…… 
どちらにしても、黄色い照明が照らす地の底で一人きり壷に呑み込まれた僕は、
身を丸め、重い石でそらに蓋をされるのを見ていることしかできない。
そうして一切の明かりのない世界に閉じ込められた僕は、遠ざかっていく足音を聞く。
それからやがて自分のいる場所が、地の底とは思えなくなってくる。
もっと下があるような気がしてくるのだ。

「どうした」と呼ばれ我に返る。
師匠が懐中電灯を下に向けながら、ソロソロと足を階段に掛けていく。僕もそれに続く。
ギイ、ギイ、と古い木が軋む音。2階から1階に降りる階段とは違う。
たとえ外が見えない建物の中でも、地中へ入っていく階段は確かにそれと分かる。皮膚感覚で。あるいは臓器で。
階段は急だ。1段1段が物凄く高く、また足を置く踏み面も狭い。
下を見ると、ほとんど垂直に降りているような錯覚さえ抱く。
足を滑らせたら大変だ。
そう思って慎重に一歩一歩進めていく。
すぐに壁に突き当たる。右側に開いた空間に回りこむと、また下に伸びる階段が続いている。ただの折り返しだ。
「地下で醤油でも寝かせてるのかな」
師匠が呟いたが、そうは思えない。
醤油が湿気の多い地下で保存するのに適したものとは思えないし、
なにより、入り口が押入れに隠されていたというのが不穏当だ。
地下から吹き上がってくる微かな風が頬に触れる。


545 :古い家   ◆oJUBn2VTGE:2008/06/29(日) 01:02:27 ID:9x5Yw4U+0
黴臭い匂いが鼻につく。
すぐにまた壁に突き当たった。師匠がゆっくりと明かりを右側へ向けていく。
「おい」という声。
僕もそこに並ぶと、下に伸びる階段が目に入る。
「まだ下があるぞ」と師匠が呟く。
懐中電灯に照らされる下には、また同じような漆喰の壁が光を反射している。
そして、まったく同じように、右側の空間が光を吸い込んでいる。
「どこまで地下があるんだ」
僕らはその階段を降りていった。ギイギイという木の音と、風の音。
薄汚れた漆喰の壁と、またくるりと折り返されて続く道。
2回。3回。4回。5回。6回。
折り返しの数を数えていた僕は、頭の中に虫が飛ぶような奇妙な雑音が入って、だんだんと次の数字が分からなくなる。
7回。8回。9回。次は10回だ。10回。10回だ。ああ。また階段が。
これで11回だから次で。いや、今ので10回じゃなかったか。次で……
先へ進む師匠が急に足を止めた。
天井に懐中電灯を向ける。
「煤だ」
天井と言っても、それは低く斜めになって下へ伸びる木製の天板。
僕らが降りてきた階段の底板が、その下の階の天板になっているのだろう。
その天井一面が、薄っすらと黒くくすんで見える。
「気づかなかったけど、足元も煤でいっぱいだ」
頭の中に、蝋燭を持ってこの階段を降りる人間のシルエットが浮かんだ。
いったいどれほどの長い時間、この地下への階段が使われていたのか。
師匠が身体を屈めて踏み面を凝視する。


547 :古い家   ◆oJUBn2VTGE:2008/06/29(日) 01:06:56 ID:9x5Yw4U+0
「おい。見てみろ。積もった埃と煤に、薄っすら踏み荒らされた跡がある」
「そりゃあ、この家の人が昔、出入りしてたでしょうから」
「でもあの上の家屋の荒廃っぷりからしたら、この階段も使われなくなって、相当時間がたってるはずだ。
 煤はともかく、埃が溜まっているはずなんだ。その上にどうして足跡がついている?」
誰かこの下にいるのか。
今でもここを昇り降りしている人間がいるのだろうか。
『この世のものとは思えない呻き声が聞こえる』という噂。
あれは、この階段を吹き抜ける風の音ではなかったのだろうか。
いや、僕の頭はその時、同時にまったく別のことを想像していた。
それは、折り返しの回数を数えている間に脳裏をよぎった、薄気味の悪い考えだ。
何度か振り払おうとしたが、今、目の前の誰のとも知れない微かな足跡を見て、それが言葉を成した。
これは、“僕らの足跡ではないだろうか”と。
その瞬間、ぞわぞわと背筋に嫌な感覚が走り、僕は立ち上がった。
「上、見てきます」
師匠にそう言い置いて、もと来た階段を昇り始める。
まるで壁のように立ち塞がる急峻な1段1段を、両手をつきながら昇っていく。
1つ。2つ。3つ。4つ。
折り返しをいくつ繰り返せば、元の押入れに出るのか。
僕らは降り続けていたはずのに、何故か同じ場所をぐるぐると回っていたのではないか?
そんなはずはない。そう思いながら、バタバタと音を立てながら駆け昇っていく。
苦しい。息が切れる。そして暗い。何も見えない。
しまったな。明かりを借りてくれば良かった。
何度目の折り返しだっただろう。ふいに僕の耳は、女性の悲鳴を聞き取った。
下だ。


548 :古い家   ◆oJUBn2VTGE:2008/06/29(日) 01:11:02 ID:9x5Yw4U+0
師匠の名前を叫びながら、踵を返して再び階段を駆け降りる。
足がもつれて階段を踏み外しそうになりながら僕は急いだ。
ガタタタタと、ついに尻餅をついて半ば滑り落ちながら、師匠の持つ懐中電灯の光を視界に捉える。
「ど、どうしました」
顔をしかめながらようやくそう言った僕に、師匠は少しバツが悪そうな調子で「いや、蜘蛛が」と言って、
壁際の天井の隅に巣を張る蜘蛛の姿を照らし出した。
僕はホッと息をつきながらも、その大きな背中の模様が人の顔に見えて、思わず目を逸らす。
「なあ」と師匠が小声で話しかけてくる。
「上でも、蜘蛛がいただろう。蜘蛛の巣もいっぱいあった」
何を言い出したのかと思って先を待つ。
「ここでもそうだけど、その蜘蛛の巣は全部天井とか柱の上の方にあって、
 私らの顔にベタってついたりはしなかったな」
そうだった。
そうだったが、それは言われてみると確かになにか変だ。
「ヒトが通る空間にだけ蜘蛛の巣がないってことはさ、誰かそこを通ってるってことじゃないか。たとえば、ここも」
師匠がまた下への階段を照らす。
ひくっと喉が鳴った。それは僕のだろうか。それとも師匠のだっただろうか。
あ、まずい。この感じは。
師匠が「戻るか?」と囁いた。
僕は「行きましょう」と応える。
止まるべき所で止まれない感じ。それは確実に僕の寿命を縮めているような気がした。

「『古い家』3/3」に続く

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