師匠シリーズ。
「『巨人の研究 中編』1/2」の続き
【僕】 師匠シリーズを語るスレ 第十九夜 【俺】
912 :巨人の研究 中編 ◆oJUBn2VTGE :2012/02/18(土) 22:41:33.92 ID:fQUWiUGe0
「でも、あれですね。確かに小人を見たって人、結構いましたね」
具が入っていなかったことに顔をしかめながらそう言うと、
師匠は「そうだな」と別のことを考えているかのように生返事で、海苔を巻いただけのおにぎりを黙々と食べ続ける。
「そういえば、最後の質問はなんだったんですかね」
アンケート用紙の最後に、『最近、愛用のコップに異変がありましたか?』という奇妙な設問があった。
僕が受け持った人では、誰も『はい』にチェックを入れていなかった。
気になったので、回収した回答用紙を数えた時にざっとその部分を見ていたが、
師匠の方にも『はい』と答えた人はいなかったようだ。
本当は小人のことを訊きたかっただけなので、ただのスペースの穴埋めかも知れないと思ったが、
それにしては内容が妙だった。
「あれは、まあ、期待してはいなかったけど、ゼロってのはな。でもこうなる気はしてたから、他のあてもあるんだ」
師匠はよく分からないことを言って一人で頷いている。
「よし、食ったら行こう。次だ」
「え、ちょっと待って下さい」
立ち上がった師匠に慌て、僕はおにぎりの残りを口に放り込む。
「次はどこなんです」
「医学部だ」
再び自転車に二人乗りをする。
僕と師匠が通う大学にはキャンパスが複数あり、医学部は同じ市内でも少し離れた場所にあった。
僕らのキャンパスから自転車で二十分程度の距離だったが、そちらに行く用事もなくほとんど馴染みがない。
サークルもキャンパスごとに存在していたので、それぞれでほぼ完結してしまっている。
「医学部になんの用なんです」
「助教授に知り合いがいてな。訊きたいことがあるんだ」
知り合いか。師匠はやたら大学の教授や助教授に知り合いが多い。
自分のゼミの教官ならば当然だが、他学科どころか他学部にまでそのネットワークを広げている。
『おっさん殺し』と僕は密かに陰口を叩いているが、
何かを調べるにもその道の専門家に直接聞けるのだから、正確だし時間の無駄がない。
その人脈、というよりも、一介の学生の身分で他学部の分野にまでそれほど調べたいことがあるというのが、
むしろ特異的なのかも知れない。
913 :巨人の研究 中編 ◆oJUBn2VTGE :2012/02/18(土) 22:45:40.37 ID:fQUWiUGe0
「あっちあっち」
不慣れなキャンパスの入り口を間違えかけて師匠に誘導される。
平日なので、キャンパスの中には学生の姿が多く見られた。
その彼らも、僕と師匠の方に無遠慮な視線を向けて来る。
「そこで止めてくれ」
指示された場所で自転車を降りる。学部棟の前だった。
「今日はたぶん大学病院の方じゃないはずだけど」
師匠は一人でさっさと歩き出した。後について行こうとしたが、玄関のところでストップがかかる。
ここで待て、と言うのである。
「一緒に行ったらまずいんですか」
「まずいな。他のことならともかく、今回はデリケートな話だから。私もどうやって口を割らせようか思案中なんだ。
悪いけど一人で行った方がいい」
どんな話なのか凄く気になったが、仕方がなかった。
「その助教授はなんの専門なんです」
その問いかけに、師匠は口を大げさに動かしながら小声で言った。
「精神」
じゃあ、後で。と、師匠は学部棟の階段を上って行った。
それから三十分ほど経っただろうか。
僕は学部棟の入り口周辺をうろうろしていたが、医者の卵たちが頻繁に出入りしている中、
まったく見知った顔がないことに疎外感を覚え、居心地の悪い気分を味わっていた。
どいつもこいつも賢そうに見えやがる。
その学生の中から、スーツ姿の師匠の姿が見えた。
「待たせたな」
心なしか疲れたような表情をしている。
「何か収穫があったんですか」と訊くと、頷いた。
「でもなかなか手強かった。あの野郎、スケベだからミニスカでも穿いてくれば良かったな」
スーツの太ももを自分の右手で叩く。
914 :巨人の研究 中編 ◆oJUBn2VTGE :2012/02/18(土) 22:48:25.23 ID:fQUWiUGe0
「なにかされたんですか」
「あほ」
師匠は近くにあった自動販売機に向かって歩き出す。
「何を聞いて来たんですか」
追いすがると、振り返らずに小声で答える。
「幽霊の目撃談ってのは、どうしても精神障害と密接な関係があるものだ」
淡々とした口調だった。
「精神分裂病やてんかんには幻聴、幻覚の類はつきものだし、薬物中毒による幻覚も酷いものになる。
精神科医にとっては、その人が幽霊を見るかどうかってのは、重要なサインなんだ。
私だって、そうなのかも知れない」
その言葉に僕は立ち止まった。それが分ったのか、師匠は振り向く。
「明治期の妖怪研究の泰斗、井上円了は妖怪現象をいくつかに分類した。
人間が引き起こしたものを『偽怪』、幻覚や錯覚などの心理的要因によるものを『誤怪』、
自然現象によるものを『仮怪』と呼んだ。
そして、妖怪現象のほとんどを占めるそれらをすべて取り除き、
なお残った一握りの不可解な現象を『真怪』と名付けた。
わたしが思うに、幽霊の存在を信じない人間にとっては、
この世の多くの体験談はすべからく、嘘か、そうでなければ錯覚、あるいは幻覚だ。
それに対し、信じている人間にとっては二つのパターンがある。
すなわち、すべての体験談は真実であるというもの。
もう一つが、一部の嘘や錯覚、そして幻覚の類を除いたものの中に、幽霊という真実が潜んでいる、というもの。
ただ井上円了の場合は、『真怪』をその名の通りのものとは考えていなかったけどな。
彼はそれを現在の物理科学、認知科学では未だ判明されざる現象、としたまでのことだ。未科学的、というやつだな。
自分の見た不可解なものがいったい何なのか、それを考える人間それぞれに、それぞれの答えがあるだろう。
だけどな。
たとえわたしが見ているものが個人的な幻覚だとしても、
それが他者と共有できるある種の形質的同一性や、再現性、あるいは不可能性を備えているならば、
それはそのこと自体に意味がある。
幻覚だって?別に幻覚でも錯覚でも何でもいいよ。
とりあえず、私が死者しか知り得なかった情報をどうして知っているのか、その理由を教えてくれ」
919 :巨人の研究 中編 ◆oJUBn2VTGE :2012/02/18(土) 22:50:35.34 ID:fQUWiUGe0
師匠は両手を広げて、目の前にいる架空の誰かに問いかけた。
そして僕の目を見てニヤリと笑う。
「さっきのセンセイは、精神科医の癖に幽霊を見ちゃう人でな。
それが酷くなってたから、廃業しようとしてたところを、
ちょっとした経緯があって、私がもっと酷い目にあわせてやったんだよ。
何の目が覚めたんだか、それから吹っ切れて、今ではかなり評判の良い精神科医だ。
まあ、患者の気持ちが分かるってのが、良い方向に向かったんだろうな。
もっとも、同僚の間では要注意人物らしいけど」
「何を聞いて来たんです」
二度目の僕の問いに師匠はもったいぶった顔をして、すぐには答えず、自動販売機にお金を入れた。
そして清涼飲料水のボタンを押す。
「少し前にある噂を耳にしたんだ」
屈んで取り出し口に手を入れる。
「最近、大学病院の精神外来に、奇妙な症状を訴える人が増えたらしいんだ。
精神病の症状は千差万別で、色んな現れ方をするんだけど、
それは分裂病やてんかん、あるいは脳梗塞などの器質によるものや、中毒によるもの、
みたいな要因別で、ある程度症状のパターンが分かれる。
逆に言うと、症状からどの要因によるものか推測出来るわけだ。
精神科医の名誉のために言い換えると、推測ではなく診断だな。
ところが、今回の症状の訴えから導き出されたのは、
ある特定の要因ではなく、ある地域に限定して発生しているという事実だった」
師匠は手にした缶ジュースを頬にくっつける。冷たくて気持ちが良さそうだ。
「それが小人を見る人ってことですか」
「いや、違うな。普通に考えて、小人を見たというだけで、精神科にかかろうとするかな」
「でも、さっきのアンケートで、最初に小人を見たって言っていた女の人みたいに、怯えてたら分かりませんよ」
「彼女は怯えていても、現実にはなにも対処していなかった」
「あの人はそうでも、もっと怯える人だって……」
「まあ聞け。
問題なのは、変なものを一度見た、という事実だけをもって精神科にかかろうとするかどうか、ということだ」
924 :巨人の研究 中編 ◆oJUBn2VTGE :2012/02/18(土) 23:01:56.17 ID:fQUWiUGe0
「一度見ただけ?」
「そうだ。私が蒐集した小人目撃談には、同じ人が二度以上見たという証言が一つもなかった」
それを聞いた瞬間、ハッとした。
そうだ。その後も続けて見たというケースはなかった。
「個人につく体験ではなく、場所につく現象なんだよ。ほとんどが。
私が小人について妖怪的と言ったのには、そういう意味もあった。
たった一度不思議なものをみただけで、精神科へ行かないといけないなら、
この街の住民の何割かは通院歴があるってことになるな」
なるほど、そういうことか。確かに一度見ただけで、そこまですることはまずないだろう。
精神障害とはそうした出来事の積み重ねなのだろうから。
「それに、小人を見たという人には、
ある程度の地域性はあるものの、この市内でも北の外れや西の端、中には隣町に住んでいるという人もいた」
「それが地域性じゃないんですか。十分狭い範囲だと思いますけど。
関東とか、他の地方では見られない現象なんでしょう」
師匠は目を閉じて首を振る。
「もっと厳密な地域性があるんだ。
精神外来で似たような症状を訴えた人たちは、市内のある地域に居住している人ばかりだ。
小人目撃談と関連があるのなら、むしろこちらが原因なんだ。
ある特定の地域に起こる現象だからこそ、
そこに住む住民か、もしくはその周辺の住民が、そこを訪れた時にのみ目撃されるんだよ」
だから小人を見たという人の住んでいる地域には多少のブレがあるんだ、と師匠は確認するように言った。
胸のあたりが不安定にざわめく。
ただ小人を見た、という話を師匠は別の視点で見ている。
それがなんなのか考えようとするが、僕の思考はそこで止まる。なにか恐ろしいものがその奥に潜んでいる気がして。
「いったい、どんな症状なんです。その精神外来で増えたというのは」
我知らず、声がかすれた。
明らかに小人目撃談と関連がある。なのに、小人を見る、という症状ではない。
925 :巨人の研究 中編 ラスト ◆oJUBn2VTGE :2012/02/18(土) 23:03:14.23 ID:fQUWiUGe0
師匠はもったいぶった表情で「すぐに分かる」とだけ言うと、
缶ジュースを持ったまま自転車を止めてある方へ歩き出した。
「次は大学病院だ」
そんな気はしていたが、本当に行くつもりなのか。そんなデリケートな患者に会うなんてことが出来るのだろうか。
「そんな顔するな。
実は精神外来だけじゃなく、入院患者にも同じ症状を訴える人が、少ないながらもいるらしいんだ。
このあたりも、その限られた地域に入っているからなんだが。
さすがに精神の入院病床は敷居が高いが、それ以外の病床の患者の中にも、そういう訴えをする人がいてな。
さっきのセンセイが診察をしてるんだ。どの病室の誰かってのを喋らせるのに骨が折れた」
そんなことを一般人に漏らして良いものだろうか。どう考えても患者のプライバシーを侵害している。
「まあ、あのセンセイも、直感でなにか良くないことが起こりつつあるってのを感じてるんじゃないか。
そして自分の立場では、対症療法に徹するしかないということも。
それでは、何か取り返しのつかないことが起こるかも知れないという、漠然とした不安があるんだよ」
師匠は僕が跨った自転車の後輪の車軸に片足をかけながら、言葉を切った。
この謎を解けるのはわたしだけだ。
沈黙の中にそう言った気がした。
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