師匠シリーズ。
『巨人の研究 前編』の続き
【僕】 師匠シリーズを語るスレ 第十九夜 【俺】
907 :巨人の研究 中編 ◆oJUBn2VTGE :2012/02/18(土) 22:23:48.00 ID:fQUWiUGe0
次の次の日、僕は昼前に師匠の家に行った。月曜日だった。
すでに身支度をしていた師匠はすぐに表へ出て来て、「自転車で行こう」と言う。
そして僕の自転車の前カゴに荷物を放り込むと、自分は後輪の軸の所に足をかけた。
僕の肩に乗った手のひらから一瞬、体温が移る。
「まずタカヤ総合リサーチだ」と頭越しに指が突き出される。
「はいはい」と、二人分の体重を運動エネルギーに変えるべく全力でペダルを踏む。
しばらく黙々と自転車をこいでいると、ふいに師匠が言った。
「なんか視線を感じる」
警戒しているような声。
思わず首を回して師匠の方を見たが、キョロキョロとあたりを見回しているところだった。
僕は改めて師匠の姿を確認し、「化けた」と呟いた。
「なに。なにか言った」
「別に、なにも」
いつもはジャージとかジーンズとか、気の抜け切った格好をしていることが多く、
化粧も全くしないどころか寝癖すら直さないような師匠だが、
今日は紺色のビジネススーツをすっきりと着こなし、化粧も自然な感じで上品にまとめている。まるで別人だ。
そんな人が自転車で二人乗りを、それも後輪に立ち乗りをしているのだ。目立つに決まっている。
そんな僕の考えに全く思い至らない様子で、師匠はしばらく周囲を警戒し続けていた。
タカヤ総合リサーチという派手な看板のあるビルの前に到着した時も、
やはり通りすがりの人にジロジロと見られ、師匠は首を傾げる。
「まあいいや、借りるもん借りてさっさと行こう」
詳しくは聞いていないが、何かを借りに来たらしい。
この大きな興信所は、僕らがバイトをしている小川調査事務所の所長である小川さんが昔所属していたことがあり、
その縁で今でも仕事を回してもらったりしていて、色々と付き合いのある会社だ。
中に入ると、空調の効いた広いフロアにデスクが沢山並んでいる。そのほとんどが無人だった。
ハッタリで、いもしない所員の分のデスクを置いてある小川調査事務所と違い、
明らかに繁盛しているがゆえの日中の所員の不在だった。
それもそうだろう。興信所の職員がデスクに座ったまま出来る仕事など多くはあるまい。
「あら、また来たの」
受付の所にいた、派手な赤い服のおばさんが立ち上がってやって来る。ここの事務員の市川さんだ。
908 :巨人の研究 中編 ◆oJUBn2VTGE :2012/02/18(土) 22:25:49.23 ID:fQUWiUGe0
いくつかの興信所を渡り歩いたこの道三十年以上のベテランで、
この業界の様々な光と影を知り尽くしたというその存在は、
所員からすると頼もしいのと同時に畏怖の対象ともなっていた。らしい。
自分にはただ世話好きなおばさんにしか見えない。
それは師匠がやけにこの市川さんに気に入られて、可愛がられているせいかも知れなかった。
「すいませんけど、またあのセット貸して下さい」
「いいわよ。このあいだ返してもらった時のまま、まだ片付けてなかったから」
そう言って市川さんは小さなダンボールを持って来た。
それを受け取りながら、師匠は「所長は?」と訊く。
「来客中。結構長くなってるみたい」
「そうですか。相変わらず忙しいみたいスね。こないだのお礼もまだだけど、よろしくお伝え下さい」
「いいのいいの、どうせこんなの使うことめったにないし」
まるで自分の経営する事務所のように振舞っている。
市川さんに挨拶をしてからその場を辞去し、外で自転車の前カゴに段ボール箱を括りつける。
「これ、自社ビルだってよ」
僕の作業を待っている間、師匠は建物を見上げて言う。
「入社して、いずれ乗っ取ってやろうかな」
冗談のつもりだろうが、やりかねないので複雑な気持ちだった。
あの下請けの下請けを自称する小川調査事務所のバイトの身でありながら、
その実務能力は僕が見てきた限り、堂に入ったもののような気がする。
隠されたものを解き明かすというのは『オカルト』の語源に言及せずとも、本人の性にあっているようだ。
大手の興信所であるタカヤ総合リサーチにしても、
今までみすみす逃して来た対応不能の『オバケ事案』を、現実的な契約に変えることができるのだ。
霊感が強い人は他にも沢山いるだろうが、その使い方をここまで理解している人は少ないだろう。
しかしこの人が、バイトならばまだしも社員として誰かの下で働くところなどあまり見たくなかった。
「よし、じゃあアーケードへ行け」
準備出来たと見るや、再び自転車の後輪の車軸の上に乗ってきた。
「はいはい」
颯爽とは言えないまでも頑張ってペダルをこぐ。段々とスピードが上がる。
909 :巨人の研究 中編 ◆oJUBn2VTGE :2012/02/18(土) 22:28:51.97 ID:fQUWiUGe0
やがてアーケードの駐輪場に到着した。
ちょうど昼時だったので、平日とはいえデパートがあるアーケードの中心街のあたりは人でごった返していた。
師匠に指示されるままに段ボールの梱包を解き、近くの公衆トイレに入る。
段ボールの中には、いかにもスタッフジャンパーでございます、という感じの黄色い上着と、
『取材中』と書かれた緑色の腕章。
そして首からかけるタイプのネームプレート。そしてバインダーと筆記用具などが入っていた。
それらを装備してトイレから出てくると、待っていた師匠はネームプレートを受け取って首にかける。
ネームプレートにはごちゃごちゃとしたデザインがされていたが、よく見ると名前しか書かれていない。
それも適当につけたと思われる、でたらめな名前だ。何にでも使えるようになっているらしい。
「いいか、これは雑誌のアンケートだ。私が編集でお前がアシスタント」
ようやく説明があった。
小さい人を見たという話を不特定多数の人間から蒐集するために、
架空の地方雑誌を装い、街頭アンケートを実施するということのようだ。
設定は、今度創刊する『マイタウン・ニュース』という雑誌の企画で、
その中の『あなたの恐怖体験』というコーナーのための取材、というもの。
そのために用意したという小道具のアンケート用紙を見たが、
住んでいる地域、年齢、今まで心霊現象に遭遇したことがあるか?それはいつごろ?などの質問項目が並んでいる。
その遭遇した心霊現象を選ばせる一覧には、しっかりと小人のチェックボックスがある。
たかが街頭アンケートを装うのにこんな周到な準備をするあたりが、凝り性で無駄な労力を厭わない師匠らしい。
「いや、最初は普通の格好で、アンケートに協力お願いしまあす、ってやってたんだけど、
内容が内容だから、霊感商法の掴みじゃないか、みたいに疑われて、なかなか上手くいかなかったんだよ。
市川さんに泣きついてこのセットを借りたら、なんとかそれっぽく見えたみたいで、そこそこ数が集まったのが前回。
さらに今回はアシ付きだから完璧だ」
さらに、こんな質問をされたらこう答える、と言った細かい打ち合わせをしたあと、
僕らはデパート前の雑踏の中に進出した。
910 :巨人の研究 中編 ◆oJUBn2VTGE :2012/02/18(土) 22:31:37.49 ID:fQUWiUGe0
「アンケートにご協力をお願いします」
師匠がよそ行きの声を張り上げる。
もちろん、テレビカメラがある訳でもなし、向こうから集まってはくれないから、
師匠は道行く人にバインダーに挟んだアンケート用紙と筆記用具を大胆に突き出した。
思わず受け取ってしまった人に用意した口上を述べて、爽やかな笑顔でお願いする。
最初に掛かった獲物は、ズボンにシャツを入れた冴えない学生風の男。
「あ、そこはチェックだけでいいですよ~」などと師匠にせかされながら、二分もかからずに回答終了。
特段幽霊の類を見たことがなかったらしく、あっさり解放された。
相手はまだ話したそうだったが、師匠は興味を失った顔で、雰囲気によるバリアを張ってそれを撃退する。
そんなことを繰り返し、六人目でようやく心霊現象に遭遇したという人を捕まえる。
それも、つい最近小さい人を見たという。
若い男女のカップルで、女性の方だった。
師匠はここぞとばかりに質問を被せ、細かい状況を聞き出す。
陸上かなにかをやっているらしく、まだ空も暗い早朝に住宅街でランニングをしていると、
小さな足音が後ろを追いかけて来ているような気配がしたそうだ。
振り返ると、誰もいない。気のせいかと思い前を向いて走り出すと、また聞こえる。今度ははっきりした音として。
怖くなって振り向くと、自分の真下、足元に、
のっぺらぼうのような小さい人型の肉塊が、スタスタと小走りについて来ていた。
彼女は悲鳴を上げて全力で逃げ出したが、しばらくその足音がぴったりとついて来ていたそうだ。
そのスタスタという一定のリズムが変わらないままで。
青ざめながらようやく語り終えた女性が、「なにか悪いものに憑かれたりしてるんでしょうか」と訊き返すと、
師匠は少し考えてから答えた。
「大丈夫だと思いますよ。このアンケートやってても、
身に覚えもないのにお化けを見てその後に祟られた、なんて人はいませんから」
女性は無責任なその言葉に釈然としない顔をしていたが、連れの男性にもう行こうぜと引っ張られて行った。
師匠の対応は正解だろう。
まことしやかに霊とはこういうもので、などと語ったり、
心配ならどこそこの霊能者を訪ねろだの、こういうお札を買えだのと言ってしまえば、
まさに霊感商法の掴みだと思われて、アンケートが続け難くなる可能性があった。
911 :巨人の研究 中編 ◆oJUBn2VTGE :2012/02/18(土) 22:37:41.45 ID:fQUWiUGe0
しかし、僕は見ていた。
その一見無責任な回答をする前に、師匠はその女性の瞳の奥を透かし見るような眼をしたのだ。
その奥に潜むなにかを見つめるように。
師匠は師匠なりに真摯に答えたのだろう。
「さあ次だ」
そうして師匠は淡々とアンケート集めをこなし、
要領の分かってきた僕も、二手に分かれて次々とアーケードの中を行く人々に声をかけ続けた。
結局二時間半くらい経った所で「疲れたからこの辺にしよう」と師匠が言い出し、僕もお役御免となった。
回収したアンケート用紙の束を数えると九十二枚あった。
集計は帰ってからするのだろうが、ざっと見た限り、小人を見たという回答が少なくとも六件はあった。
それもすべて最近の話だった。
九十二分の六というのがどの程度意味を持つ数字なのか分からないが、
心霊現象に遭遇したことがあるという人自体が、恐らく全体の半分以下だったはずなので、
その中での六件と考えると十分多い気がした。
心霊現象と聞いて思い浮かぶのは、普通は幽霊や心霊写真、ラップ音などだろう。
これほど小人の目撃が最近になって増えているというのは、一体どういうことなのか。
「おい。ぼうっとすんな。終わったらさっさと引き上げだ」
師匠にせかされて、また公衆トイレに向かう。脱ぎ終わると、それらをすべて段ボールに押し込んだ。
その蓋をしようとした時にふと手が止まり、変に感慨深い思いに駆られる。
たかが怪談話を聞くのに、ここまでしようというモチベーションが師匠にはある。
そこは今の僕には確実に欠けているところだろう。
けれどその師匠の行動を思うと、不思議と胸が高鳴る自分がいる。なにをするか、見ていたい。そう思うのだ。
「お。お疲れ。弁当食うか」
僕がトイレから出てくると、師匠は自分の荷物から銀紙に包まれたものを取り出した。おにぎりだった。
アーケードから離れ、近くにあった小さな公園に腰を下ろす。
午後二時過ぎの公園には何組かのカップルと、子どもが数人、思い思いの格好でベンチや砂場に座り込んでいる。
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