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『小さい命を守る者』1/2


◇ 心霊ちょっといい話VER.12 ◇

794 :本当にあった怖くない名無し:2008/02/12(火) 10:48:22 ID:8bd9DJxg0
あまりにも記憶が鮮明なので、自分の記憶の整理のつもりで書かせてもらいます。

両親によると、私は生まれて2日目の朝、保育器の中で死んでいた(心肺停止)そうです。
もちろん今は生きていますよ、こうして。
実は間違いなく死んでいたなと私自身も確信がありまして、
その産婦人科の廊下やら階段やら階段下の倉庫やら屋上の物干し場とかを、
フワフワ漂いながら見ていた情景を今でもキッチリハッキリ覚えてます。
たぶん幽体離脱ってやつ?なんせ私死んでましたから。
これは生まれて間もないときの記憶ですが、生き返った後の記憶は4歳くらいまでありません。

それから、生き返った時の記憶も良く覚えています。
フワフワ産婦人科内を漂いながら階段を降りようとしたら、
後ろのほうから急にすごーく気持ちの良い柔らかい声がする。
壁が透けて部屋の中が見えてて、青い光に包まれた綺麗な看護婦のお姉さんが保育器の横に立ってた。
吸い寄せられるように私はそっちへ向きを変えて近寄っていきました。
その綺麗なお姉さんの横にあった保育器の中には私がいる。
それを見て、あー私こんな感じで寝てるんだーと思ったとたん、情景が変わって、
私は外からではなく保育器の中から丸い空気穴を見た。
そしたらもうそのお姉さんはいなくて、周りに人がいっぱいいた。たぶん母親とか父親とか先生とか。
大きな声で話ながら、みんなが私を見てる。
記憶はそこで途切れる。


795 :本当にあった怖くない名無し:2008/02/12(火) 10:53:38 ID:8bd9DJxg0
今から6年前、その産婦人科の建て直し工事の設計担当者が私の旦那になった。(本当に本当に偶然)
旦那に無理を言って、解体する前のその産院につれていってもらった。
「ねー私ここで一回死んだんだよー」とか言っても信じてもらえなかったんだけれど、
工事関係の人以外は一般の入院妊婦でも知らない部屋、たとえば、
「その階段の下の木の扉がお薬の倉庫だよ」
「西階段の一番下の地下一階がお風呂場だよ」(実際は小さいホルマリンプールでした;;;)
「北の突き当たりの部屋は先生の詰め所で、その奥に仮眠ベッドがあるんだよ」
とかもろもろ、上に書いたことまで覚えてること全部旦那に言ってやったら、ビックリしてましたわさwww

で、「うそだー!」「信じろー!」とか、ヘルメットかぶった馬鹿夫婦が暗い産院内で騒いでるうち、
その日たまたま忘れ物したとかで来てらした院長先生が現れて、
「今の話は本当ですか?」と真剣な顔して近づいてらっしゃいました。
「どんな看護婦さんでしたか?」と結構まじでお聞きになるもんだから、
「えーと、かなーり綺麗な人でしたよー。
 うーん、記憶が美化されてるかも知れないですけど、
 モデルさんが看護婦さんしたらこんな感じ?みたいなですねえ、長いピンどめをー」
なんて、旦那の大事なお得意様なのに軽い返事してしまったwww
私は旦那にあとで怒られるかも?と思いつつ院長先生見ると、
「そうですか、そうですか、そうですか、はい、はい」と涙ボロボロ流してた。

私を取り上げたのは若き日の院長先生です。(私のことは良く覚えてるそうです)
私が死んだその前の日、院長先生ととっても仲の良い妹さん(看護婦さん)が、
病院の前の道路で交通事故にあい、お亡くなりになっていたとのこと。
妹さんも容姿も髪のアクセサリも、私が覚えてるそのまんまドンピシャ(死語w)
私も旦那も胸が詰まってしまい・・・それからお互いに謝辞の応酬です。

今はその産院は新しくなって、院長先生も息子さんが後を引き継いでます。
私は思います。
今でも院長先生の妹さんは、その病院で幽体離脱してる赤ちゃんをやさしく体に戻してあげてるんだと、そう思います。
うちの子は院長先生の息子さんに取り上げてもらいました。最初からそう決めてました。
だって、ずっとあの看護婦さんが見守っててくれてる気がしてましたから。


798 :本当にあった怖ーい名無し:2008/02/12(火) 14:35:45 ID:8bd9DJxg0
調子こいてもうひとつ、このての不思議体験あったのを思い出しました。

小学二年生の時、一時間目が始まる前に教室で友達と話してた(と思う)ら、
教室の前のドアが開いて、知らないおじいさん風の人と、私くらいの男の子が入ってきた。
男の子はやけにくたびれたセーターと半ズボン着てて、おじいさんは黒い軍服で腰にサーベル?なんだろ?
おじいさんが教壇に立って、「これが何とかの型」「そしてこれが」なんて言うたび、
一緒にいた男の子が持ってた木刀を振っては腰に戻す、というのを5分ほど繰り返してた。
なになに?なんなんだろうあのひとたち?と思って友達のほう見ると、
って言うか、私以外みんなそのおじいさんと子供のほうなんか見てなくて、ほぼ無視?
そしたら前のおじいさんが、「良いか?これがそうだ、覚えておけよ!」とかわけわかんないこと言って、
男の子もきりっとした表情で私のほう見てうなずいてんの。
それからすぐ、おじいさんとその男の子は一礼して教室出ていったんだけども、
友達に聞いても誰もそんなの見てない。
じゃー今のなに?なんだった?おかしいよ、みんな見てないの?

で、たぶん何日か後だったと思うけど、学校からの帰り道、友達と別れていつものように川の土手を歩ってたのね。
したら、向こうのほうに黒い帽子かぶって黒い格好した人が、こっち見てニヤニヤしてんのね。
やだなーとか直感的に思った瞬間、私ってば何を考えたのか、
土手を降りてススキの茂ってるほうへ走って隠れようとしたんだけれど、
その黒い人、追いかけてくるんだよね。
だから私、いやー!いやー!って叫んでた。
けど、まわりに誰もいなくて、とうとう追いつかれて、手をつかまれた。
「たばこはどこに売ってる?一緒に行こう、ついてきてよ、なあ一緒に行こうよ」
と言うその顔は、血の気がない白い顔。


799 :本当にあった怖ーい名無し:2008/02/12(火) 14:36:16 ID:8bd9DJxg0
そしたらですよ。後ろでバチーン!って音がして、その男の「いてえ!」と声がする。
つかまれてた二の腕がゆるんだから、また私は走って逃げ出した。
馬鹿な私はもっとススキがびっしり生い茂ってるほうへ。
茂みの中に恐怖でうずくまってると、その男が「いてえ、なんだよ!邪魔スンナ!」と言ってる。
ああ、誰かきてくれたんだ、助かったー と思ってうれしくなった私が、立ち上がって見た光景は、
黒い服の男が走るたびに生い茂ったススキに叩かれて(たように見えた)ました。
ススキにまじって、確かにあの教室でおじいさんと一緒に木刀振り回してた男の子がいた。
「しょうがないな、もう一度だけお前を助けてやる」とか言いながら、木刀を振り回す男の子。

そこからの記憶がいまいち曖昧なんですが、
家に帰った私が男につかまれた二の腕からいっぱい血を流してると、
それを見た母親がパニクッてたのをよく覚えてます。
(すっごい切り傷で、ナイフで切られたような。今でも海水浴行くとはずかしいくらい痕が残ってる)

ところで、私が通ってた小学校は創立年が日本で何番目かに古い師範学校の付属。
(色々な伝説とか七不思議がありましてww)
何年か前、
創立110周年(なんで100年じゃないんだろ?)の分厚い記念誌が、私のところへ送られてきたんだけれど、
昔の学校とか児童の様子写してる古い写真見て、ちょっと気になったというか;;;
創立当時の写真って書いてあるけれど、
腰にサーベルさして門番してるおじいさん、横でならんで笑ってる一人の男の子、
まんまじゃん!この人たちだよ!あのとき教室で、土手で私が見たの、って誰に言っても信じてもらえないんだけど。
二の腕の傷痕が、私をどうにも納得させないのですよ。
あのときの少年よ、本当にありがとう。(だってまじ怖かったんだもん)

「『小さい命を守る者』2/2」に続く

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