師匠シリーズ。
「『未 本編5』1/3」の続き
【霊感持ちの】シリーズ物総合スレ19【友人・知人】
559 :未 本編5 ◆oJUBn2VTGE :2012/01/21(土) 23:39:52.05 ID:sWc1D+bL0
りん……
鳴り響く鈴の音を聞きながら、僕は思い出していた。師匠の言葉を。
長野教授との電話の後、『女将がどうしたんですか』と問い掛けた僕に師匠は言った。『犯人だよ』と。
違っていたのは字の方なのだ。
『女将』ではなく『オカミ』。
神の名前。あるいは、神社の名前。師匠が告げたのはそちらの真相なのだ。
つまり……
「キャーッ」
いきなり悲鳴が上がった。楓が口元を押さえて叫んでいる。
その視線の先には、薄っすらとした人影がある。
じわじわと、その希薄な身体が輪郭を持ち始める。狩衣に烏帽子、袴。神主の姿をしている。顔はない。
ぼやけているというよりも、青白いのっぺりとした肉がそこにあるだけのようだった。
それがなにもない空間から湧き出てくる。
その影は一つではなかった。二つ。三つ。四つ。まだいる。まだ。
「うわぁ」と和雄も叫ぶ。女将も広子さんも叫んでいる。
勘介さんも腰を抜かしたようにへたり込んで、泡を吹きそうな顔をしている。
僕もその異常な光景にまともに息ができないでいる。心臓がバクバクと鳴っている。
それがこの世のものではないという直感と、なによりその現れ出る姿に異様な恐ろしさを感じだのだ。
影は注連縄の内側に現れていた。邪(よこしま)なものを退けるはずの境界の、その内側に。
近い。たった五メートル四方に切り取られた空間の中に、僕ら六人と不気味な人影たちがひしめき合っている。
逃げ場などない。
560 :未 本編5 ◆oJUBn2VTGE :2012/01/21(土) 23:42:33.52 ID:sWc1D+bL0
朝、玄関で得体の知れない存在に触られたときの感覚が蘇る。
すべての生気を吸い取られるような、二度と味わいたくない感触だった。
悲鳴が交錯する中で、師匠が吼えた。
「うろたえるなっ」
その気迫にかき消されるように悲鳴が止む。
「その場を動くな。その針は結界だ。それも即物的な。踏めば痛い、と知っている者ならば、越えることができない」
凛した声が広間に響き渡る。言葉づかいが変わっている。
神主姿の影は注連縄の中をさまよいながら、しかし僕らの身体には触れることはなかった。
すべて針の円の外側を、音もなく揺らめくように歩いている。
「逆に言えば、注連縄は彼らにとって結界ではない。いや、自分たちが棲まうべき『内側』なんだ。
彼らは俗な表現で言う、悪霊なんかじゃない。ある真実を告げるために現れた、祖霊なんだ。
かつて神職であったものたちだ。むしろその存在は神に近いと言っていい。
だから直接に人間に接触できないほど希薄な霊体である彼らは、神域である注連縄の内側でこそ力を得て出現する」
これが、今夜この場に彼らが現れるとわたしが確信していた第一の要因っ!師匠が叫ぶその前を、神主の霊が行き交う。
寒い。頬に風を感じる。冷え切った空気が、その動きにかき回されるように対流を起こしている。
「さすがにこの状況が長く続くとまずい。手短に話す。彼らはオカミ神社の代々の宮司たちだ。四百年以上の昔の。
若宮神社の当代の宮司である石坂章一氏が、いくら御祓いをしてもだめだったのは、
流派が違うなどという生易しい理由じゃない。
オカミ神社の宮司たちにとって、若宮神社は侵略者だ。自分たちの存在を歴史の中に消し去った張本人たちなんだ。
怒りを増しこそすれ、祓われることなどない。
なにより、彼らは悪意を持って現世(うつしよ)に現れているんじゃない。
『とかの』の宿泊客や従業員には、全く手を出していないことからもそれが分かる。
したかったことは唯一つ、警告だ。
悪しきもの、邪(よこしま)なものが、『とかの』に入り込んでいることに対する警告なんだ」
僕の目の前に顔があった。
目鼻もなにもない顔が、わずか二十センチの距離で僕の顔を覗き込んでいる。ぎゅっと心臓が縮み上がる。
561 :未 本編5 ◆oJUBn2VTGE :2012/01/21(土) 23:46:13.14 ID:sWc1D+bL0
「この地方の古い地誌に、松ノ木郷にあるオカミを祀る神社の記述があった。
名前は木編に母と書く『栂野神社』。この地のオカミ神社の正式名は栂野神社というんだ。
わかるか。トガノだ。この符合は偶然じゃない。
この温泉旅館『とかの』を開いた戸叶家は、よそ者なんかじゃない。
由緒ある栂野神社の宮司一族につながる、れっきとした家柄なんだ。
ただ、新興の若宮神社に氏子を奪われた宮司一族は没落してしまった。やがて他の地方へと落ち延びていった。
そしてどういう変遷を経てか、名を変え、大阪で材木問屋を営むようになり財を成した。
それが女将の祖父である亀吉氏の代で、凱旋を果たしたんだ。
もちろん旅館を開く場所に選んだのは、先祖伝来の土地であるこの山の麓。かつて栂野神社があった山だ。
今この旅館の駐車場には、この土地を買い取り造成工事をしたときに場所を移された祠がある。
その御神体である石には、消えかけた文字でこう書いてあった。
とかのの名において、神にかわり、この地を守ると。
神社が消え、宮司一族が去った後、ずっと主人の帰りを待っていた石だ。今は役割を終えて眠っている。
そしてその役割は、新しい『戸叶家』に受け継がれた。
祖父の亀吉氏は、その消された歴史を密かに伝え聞いていた。
しかし次の代には引き継がなかった。あるいは自分の息子である二代目には伝えたのかも知れない。
だが三代目である千代子さんには伝承されなかった。
それはこの地で新しい暮らしを始めた新しい世代に、そのくびきを見せたくなかったのかも知れない。
時は明治の神社整理を越え、若宮神社は安泰であり、
もはや栂野神社の復興も適わないという現実がそこにはあった。
ただその山の麓で生きていくことが先祖の霊を慰め、そしてまた先祖の霊に守られることになるのだと。
それだけを思ったのかも知れない。
女将、あなたが子どものころ、大雨の夜に見た大蛇は蛇じゃない。龍だ。
オカミ神社には、守護者たる龍を象ったものが置かれることが多い。茅で作られたものなどだ。
そして栂野神社には木彫りの龍があった。
そして宮司一族が放逐され、荒廃した神社の遺構が幾度かの土砂崩れで埋まり、
御神体の龍があの山のどこかに眠っていた。
それがあの夜の大雨で、ついに土砂ごと枝川まで滑落し、濁流の中を流されていったんだ。
あなたが見たのは、手足を泥水の中に秘めた巨大な龍の胴体だった」
563 :未 本編5 ◆oJUBn2VTGE :2012/01/21(土) 23:52:42.14 ID:sWc1D+bL0
はぁっ。
命が抜けるような深い息が吐き出された。
女将だ。顔面は蒼白になり、両手はその頬に触れるか触れないかという場所でガタガタと震えている。
「ひょっとすると、あなたの祖父はそのとき栂野神社の復権を諦め、
あなたの代ではこの地に溶け込んで、これからずっと暮らしていけるよう、
真実をその胸に仕舞う覚悟をしたのかも知れない」
師匠のその言葉に、女将は顔を覆って嗚咽を漏らし始めた。どのような感情がそこにあるのかは分からない。
しかし見ているだけの僕にも、胸を締め付けられるような感覚があった。
「そして、その地に帰ってきた子孫たちを、守り続けてきた宮司の祖霊は、
悪しきものの侵入に気づき、警告を発する。
それが春先から始まる幽霊事件だ。
思い出して欲しい。わたしはこの場にいる全員に、それぞれの幽霊との遭遇譚を訊いた。
その中で一人、たった一人だけ、他の人と異なる遭遇の仕方をしていた。誰だか分かるか」
気がつくと、ざわざわとした気配が僕の周囲からは離れていた。その神主の霊たちはある一箇所に集まり始めている。
「襲われているんだ。その人物だけが」
ハッとした。
僕……?なんだか分からないが、目の前が真っ暗になりそうだった。
師匠が僕の表情に気づいたかのように苦笑する。
「おまえのは、ただ通り道だったというだけだ。明け六つが始まるから、出て行こうとしたんだよ。
その進行方向に座っていたというただの不運だ」
そうか。そう言えば、なんというか、害意のようなものは感じなかった。
では、その人物とはもう一人しかいないじゃないか。
「ひぃぃ」
泣き声のような悲鳴が上がる。和雄だ。和雄が呻きながら目の前の空間を手で払う仕草をしている。
その周囲には無数の影が蠢いている。まるで群がるように。
「おまえだけだよ。追いかけられているのは」
和雄の姿を見ながら、冷たい声で師匠はそう言った。
565 :未 本編5 最後消えたので再掲 ◆oJUBn2VTGE :2012/01/22(日) 00:07:58.14 ID:Gxhfsr1T0
「露天風呂で遭遇したとき、おまえは近寄ってくる幽霊からなんとか逃げ切った、と言ったな。
なぜおまえだけそんな目に会うんだ?答えてやろうか。ええ?若宮神社のお坊ちゃん。
わたしも最初は、ただお前がこの栂野神社の末裔の地にとっては仇敵の子孫であり、
招かれざる客だからだろうと思ったさ。
だが、新しい戸叶家は若宮神社の氏子になり、そんなくびきから解き放たれた生活を始めているんだ。
快くは思わないだろうが、祖霊にしてもそれをぶち壊そうとまでするだろうかと考えると、
しっくり来ないものがあった。
その謎が解けたのは喫茶店だよ。今日の昼に西川町での喫茶店で会ったろ。おまえはそのとき、女連れだった。
そして困った顔で妹だと紹介をした。ここで自分たちを見たことを誰にも言わないでくれ、とも言ったな。
その後で、妹との喧嘩をダシに楓をデートに誘ったことを知ったわたしたちには、
ちょうどいい目くらましになるところだった。
だけどあの喫茶店には、バイクは一台しか止まっていなかった。
おまえ言ったよな。バス停が遠いから、うちの家族はみんなバイクに乗ってるって。
喫茶店のバイクには見覚えがあった。おまえのバイクだ。じゃあ妹はどうやって来たんだ。
二人乗り?しかしヘルメットは、片方のハンドルに一つだけしか掛けられていなかった。
もう一つは座席下のヘルメットホルダーか?だがおまえのバイクは、ヘルメットが二つ同時に収納できるタイプだ。
なぜバイクを降りた後、二人がヘルメットを脱いだのに、片方だけをわざわざ座席下に仕舞うようなことをするんだ。
どちらかはノーヘルか?いや、顔見知りの多い田舎の街なかを走るのに、そんな無駄な危険を冒すもんか。
ヘルメットなんて始めから一つしかなかったんだよ。
ただおまえはあそこで待ち合わせていただけなんだ。西川町に住む女と。あの女は妹の翠じゃない。
顔を知らないわたしたちなら咄嗟に騙せると思ったのか。随分と楽天的だな。
さっき、旅館に電話があったよ。楓ちゃんいますかってさ。名前を聞いたら翠と名乗ったぜ。
おかしいな。デートの約束の時間から二時間くらいしか経ってない。
喫茶店でアニキと口裏合わせをしてたのが本当に翠なら、
楓がいないだろうってことくらい知っているはずじゃないのか。
ありがちな話だ。シンプルに考えればいい。
やましい関係にある女と密会しているときに、知り合いに見られた場合の言い訳、その一。
『妹なんだ』……な?バッカみたいだろ。
おまえ、楓にゾッコンな振りをして、なにを企んでんだ」
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