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『ウチの家系』2/6

「『ウチの家系』1/6」の続き
【因縁】家系にまつわるオカルト13代目【遺伝】

885 :本当にあった怖い名無し:2010/03/31(水) 00:51:57 ID:6JUst0aG0
爺ちゃん最後の正気編

それから5年は経過した頃かな。
地域でお祭りがあった。毎年あるんだけどさ。
そのお祭りのルールはシンプル。
先述した神社に奉納されているあるものを地域の子供が全員で運び、地域を回るというもの。
もともとその神社は○氏のある有名人物とゆかりがあると言われている。
神社名を見れば納得すると思う。これもググると出てきたので、これ以上詳細は書けません。
しかしその奉納物は扱いも管理も難しい。歴史的にみて保護されるべきものだ。
そこでウチの爺ちゃんがあるものを作り奉納した。結構前に書き込んだ通り。
それ以降は本当の奉納物は格納したまま、爺ちゃん作のあるものを子供達が運び地域を回るルールに変更。
最終的に本家がゴール。そこで爺ちゃんに挨拶をして、みんなでご飯やお菓子を食べるんだ。
子供達はイミフだよね。車椅子の痴呆老人に挨拶するんだから。
地域の人は昔の爺ちゃんを知ってるから色々と優しい言葉を掛けてくれる。


886 :本当にあった怖い名無し:2010/03/31(水) 00:52:44 ID:6JUst0aG0
爺ちゃんが亡くなる最後の年のお祭り。何故か俺も手伝いに行っていた。
どのような経緯だったかは覚えていない。
本家で待っていると遠くから祭り囃子と子供達の声が聞こえてくる。
こちらに向かってきている。
俺は車椅子の爺ちゃんを庭にセット、そしてスタンバイ。
お菓子やご飯も用意。お赤飯と決まっていた。お赤飯を炊いたのは現嫁。
子供達本家に到着。お菓子にもそんなに喜ばない。なんつーか用意したお菓子が旧いんだろうw
ここ数年でジャンクフードも田舎に増えたし、子供の舌が肥えたんだろうな。
当然お赤飯にも誰も手を付けなかった。俺はちょっと悲しかったな。現嫁に申し訳無いと思ったし。
保護者の方々が気をつかって「私頂きます。○○ちゃんも食べなさい。」なんてちょっと変な空気になった。
俺は現嫁に目で合図をして「いえいえ無理しないで下さい。ママの料理の方がいいよねボクー」なんて誤摩化していた。
すると気配を感じた。爺ちゃんが仁王立ちして、歩き出した!


887 :本当にあった怖い名無し:2010/03/31(水) 00:53:40 ID:6JUst0aG0
そして地域の大人達に頭を下げ、
「毎年有り難うございます。」という内容の言葉をかけ握手までしている。
そして一際大きな声で地域の子供達に声を掛けた。
「○○祭りは~の歴史があり、皆の健康をお祈りしているんだよ。ご飯が食べられる事を○○様に感謝しなさい」
現嫁超ビックリ。驚愕。え?え?って感じ。俺はあの夏を思い出した。
今思えば神仏どちらを信仰していたのかは不明。神棚もあったしな。
すると子供達は「頂きます」といってお赤飯や煮物を平らげた。
爺ちゃんはニコニコしていた。
それが爺ちゃん最後の正気でした。

爺ちゃん最後の正気編、了。


889 :本当にあった怖い名無し:2010/03/31(水) 01:16:35 ID:6JUst0aG0
爺ちゃん火葬編。

そんな爺ちゃんが亡くなった。
容態が悪化してからは本家を離れ入院生活を送っていた。
一度見舞いに行ったがそれ以降は行っていない。
あまりの変わり果てた姿に我慢が出来なかった。
ただ呼吸をしているだけ。当然俺が誰かも分からないし、発声も出来ない。
危篤が知らされてから初めて見舞いに行ったんだ。
もう長くないな・・。誰もがそう思った。
俺は社員に事情を伝え地元のホテルに泊まり込む生活が続いた。
現嫁も一緒。昔からの友人が次々とホテルに見舞い?に来てくれた。
俺が祖父祖母に育てられた事を知っているし、イケイケの爺ちゃんだったから地元では有名だった。
ホテルにはレストランもラウンジもあるし、気が紛れた。
内心は気が気じゃない。ある日、部屋に戻り嫁と何をするわけでもなくボーっとしていた。
ウトウトしてきたなぁと思ったその瞬間「○○~!」と俺を呼ぶ爺ちゃんの声が。


890 :本当にあった怖い名無し:2010/03/31(水) 01:17:31 ID:6JUst0aG0
俺は「ウワっ!」と声を上げた。
現嫁「どうしたの?」
俺「えっ?今俺の事呼んだ?」
ありがちな展開で申し訳ないが事実なんだ。
その瞬間携帯が鳴る。親父だった。
俺「死んだか」
親父「良く分かったな」
俺「今俺の名前叫んでたよ」
親父「疲れてるだけだ」
それからは早かった。葬儀の段取りやら何やら。あの頃は一族が疲れきっていた。
なにせ祖父祖母両方危篤なのだ。全員仕事もままならない。
爺ちゃんの亡骸は本家へ移動。すぐさま防腐処理。そして皆も知っている運びで通夜、葬式だ。
出棺の際、親父が声を上げて子供のように泣きじゃくっていたのが俺の胸を深く抉った。
葬儀屋さんと打ち合わせの最中、こんな話がでた。
棺に入れられるモノは燃えるものだけです。金属等は駄目です。と。
燃やしきる事が出来ないからだ。
しかし「硬貨」だけは構わないとの事だった。
聞けば燃え残った硬貨をお守りとして取っておく風習があるとの事。
おれは迷わず本家にあった小銭入れ(婆ちゃんが藤で編んだ籠に入っている)を片手でゴソっと掴み、棺に入れた。
大人が片手で目一杯掴む位だから50枚位?
告別式が終わり火葬場へ。火葬の最中はお茶のんだりおにぎり食べたりしていた。


891 :本当にあった怖い名無し:2010/03/31(水) 01:18:26 ID:6JUst0aG0
爺ちゃんを焼いているっていう実感が無かった。
そして火葬場の方からアナウンスがあり、骨壷に骨を入れる作業?
あの箸で持つヤツ。産まれて初めてだった。
箸と箸でモノを持っちゃイケナイ、リアルに体感した。
骨を移動している最中に思い出した。あれ?硬貨はどうなった?
係の人に尋ねる。
「ああ、だいぶ燃えてしまってますね。残る事は結構少ないんですよ」
言ってる事が違うじゃないか、と思った。
「あ、ありました。残ってます。」
残った硬貨は五円玉1枚。
あとは黒こげになって変形していたりして原型を留めて居なかった。
すかさず俺はそれを受け取った。
あんなに入れても1枚しか残らないのか・・・。
もっと入れておけば良かった。そう思った。
そして火葬場から葬儀場に戻る車の中で、何気なく五円玉を見た。
綺麗に焼け残っている。そして気が付いた。
その五円玉の「昭和○○年」。
俺の生まれ年だった。俺はすぐお坊さんに事情を話した。
お坊さんは「縁のあるものです。大切にしなさい。」そういってお守りっぽい巾着袋を下さった。
その五円玉は今でもその巾着袋に入れて自宅の仏壇に置いてある。
そしてこの巾着袋の中身は後にもう一枚増える事となる。それはまたの機会に。

爺ちゃん火葬編。了。


895 :本当にあった怖い名無し:2010/03/31(水) 01:59:29 ID:6JUst0aG0
婆ちゃん火葬編。

爺ちゃんが亡くなった数日後、後を追うように婆ちゃんも旅立った。
親戚の中でも人の死を多く目の当たりにしている長老組は口々に漏らした。
「○○婆さんを連れて行かなきゃいいけど」
その頃の婆ちゃんの容態はヤバかった。最初は単なる胃潰瘍程度という診断だった。
しかし問題は持病の心臓。婆ちゃんは心臓が悪かった。亡くなった後出てきた手帳にも
「お母さんの心臓は多分良くない。」との手記が残っていた。
その病院はヤブ医者で有名。俺も過去その病院の悪態っぷりに激怒した事がある。
心配になった親戚は俺に相談してきた。
「病院移した方がいいかな」って。
確かに俺の知人には権威ある先生も居た。
しかし毎日誰かが顔を出せる、つまり地元の病院に置いておくのが良いだろう、と思った。
すぐ退院出来ると思っていたんだ。
婆ちゃんも「早く退院したいなあ」
俺「大丈夫だよ。退院したら温泉行こうぜ」ってな感じだった。
実はそれどころでは無い。前述の通り俺の爺ちゃんが亡くなったのだから。
俺たちは婆ちゃんが落ち込むのを恐れ、爺ちゃんの死は伏せていた。
しかし容態は急変。担当医は「ウチでは手に負えません」と。


896 :本当にあった怖い名無し:2010/03/31(水) 02:00:54 ID:6JUst0aG0
もっと大きな病院に移送。
「なんでこんなになるまで放っておいた!」
ヤブで有名な医者は怒られていた。
やっぱり移送しておくべきだった。激しく後悔した。
その後は暫く安定していたのだが、次々と異変が起き、お医者さんも諦めモードだった。
集中治療室で話をした時には痴呆も進んでいた。
悲しかった。吹き返した!やっぱり駄目だ!が何回続いただろう。毎日病院へ行った。
爺ちゃんに引き続きである。親族も疲れていた。
そしてある日、今日は誰が泊まる?という話になり結局長男が泊まった。
俺は自宅に戻り、自宅近所のバーで酒をあおった。
疲れていたんだろう、酒に強いはずがあっと言う間に酔っぱらった。
自宅で現嫁と眠りについた。現嫁も相当疲れたと思う。
結婚している訳でも無いのに毎日俺とお見舞い。仕事を休んで葬式の手伝いやらなんやらで大変だったと思う。
有り難う。
で、いつものパターン。
「○○ちゃん(俺)、お母さん苦しい。すぐ病院に来て」
ハっと目が覚めた。嫁も飛び起きた。
んで、爺ちゃんと同じく親父から電話。
俺「ああ、分かってるよ」
親父「またか」
酒が入っているため、すぐには行かなかった。
昼まで仮眠を取り、本家へ。


898 :本当にあった怖い名無し:2010/03/31(水) 02:03:43 ID:6JUst0aG0
つい先日爺ちゃんが亡くなったばかり。もう手慣れている。
小銭を入れるときも確信犯で昭和○○年生まれを3枚程仕込んだ。
燃え残った話は親戚の中で有名になっていたので皆自分の生まれ年の硬貨を用意し棺にいれていた。
お坊さんの都合、葬儀場の都合で婆ちゃんの場合結構長く本家に居た。
その間見張りじゃないけど線香を絶やさないように泊まり込むのは俺の役目。with現嫁。
深夜婆ちゃんの足音を二人で何度も聞いた。
そして通夜や告別式を終えて火葬場へ。
しかし俺は婆ちゃんが骨になるのをどうしても見る事が出来ず、親戚にその旨を伝えた。
叔父さん連中に大罵倒を喰らった。珍しく親父が俺を庇った。
「コイツは俺が苦労かけた。コイツに取っては辛い事だから勘弁してやってくれ」って。
しかし昔気質な叔父さんや地元の親友に説得され火葬場へ行った。
決心するまで3日掛かった。一生後悔する、と思ったんだ。
火葬場では爺ちゃんと全くおんなじ段取り。皆硬貨が気になっていた。残ったのは3枚。
すべて昭和○○年。またもや俺の生まれ年だけだった。俺は猛烈に泣いた。
思い出すと今でも泣けてくる。本当に婆ちゃんには迷惑を掛けた。書いていて涙が出てくる。

そして気づいたら不思議な「縁」感じました。

爺ちゃんが亡くなったのが7月11日、婆ちゃんが亡くなったのが7月の25日。
俺の誕生日は昭和○7年11月25日。
そして三男の誕生日は昭和25年11月○7日。
まあ偶然だろうけどな。
※生年月日は2ちゃんなので仮の為、辻褄が合いませんがご容赦を。

婆ちゃん火葬編。了。

「『ウチの家系』3/6」に続く

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