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『他の歴史世界から来たと自称する男に会いました』3/3

「『他の歴史世界から来たと自称する男に会いました』2/3」の続き
他の歴史世界から来たと自称する男に会いました

42 :オーバーテクナナシー:2008/08/05(火) 01:30:10 ID:hy0iecU7
1です。
すいません、この週末は家族サービスで出かけておりまして、投稿する時間が取れませんでした。
続きを記します。

「とにかく私達の社会では、監視の目をかいくぐって、東北県で地下組織を作っている。
 多分、全世界に似た組織が有る事だろう。
 私が参加していた組織『グスコーブドリ』は、表面上は、
 昔の農作や史書を調査して農業に役立てる名目の民間団体だが、
 実体は、他社会の情報収集と連絡を試みる事にあった。手製の無線送受機を使って。
 どうやら日本全土と、少なくとも朝鮮にも、同様の組織が多く存在しているらしい事が分かってきた。
 そして、組織の首領だった曾根崎という男は、
 全世界的な地下組織の連絡網を築く事で、モスクワ中央政府を打倒する事ができ、
 世界を解放に導けると語ったよ。

 そこで各地下組織とは、無線による断続的な交信だけでなく、
 密使を遣わして、具体的な連携を図る計画が立てられた。
 そして、私に白羽の矢が立ったのだ。密使には私の他にも何人か選ばれた。
 私達はそれぞれ別の場所へ赴く事になった。
 私の赴く場所はペトロパブロフスクだった。
 クリル列島をつたって、カムチャツカ半島へ行く船便に乗るのだ。
 しかし旅行の許可を得るには、幾つもの資格承認と許可証の発行、
 また、その為の代償労働をする為に、鉱山や土木作業場へ行かねばならなかった。
 4年かかって、ようやくペトロパブロフスク・カムチャツキーへの渡航許可が降りた。
 私は1996年の4月14日に、たかだか2千トンしかなさそうなボロ連絡船に乗り、石巻港を出た。
 しかし港を出てから12時間もしない内に、三陸沖辺りでドイツ軍の潜水艦に狙われたようだった。
 私はその時甲板に出ていたんだが、すぐに船内放送があり、全員が船内に退避するよう命令された。
 しかし私は、どこに潜水艦がいるのか確かめようと、手すりに掴まって海をよく覗こうとした。
 その時にいきなり船尾で爆発が起こり、その衝撃で私は海に投げ出されてしまった。
 覚えているのは海に頭が突っ込む所までで、それ以降は全く記憶に無い。
 気付いたら、八戸に程近い浜辺に打ち上げられていた。
 そして、そこは今ある世界だったんだよ」


43 :オーバーテクナナシー:2008/08/05(火) 01:32:59 ID:hy0iecU7
「私は病院に入れられた後、この世界の警察に引き取られた。
 私は病院の医師や警察官にこの事を話したが、全く相手にされなかった。
 この世界の警察官は、あの世界に較べると遥かに丁寧だったが、同時に頑迷だった。
 私は名前のみ覚えている記憶喪失者と見なされ、社会訓練施設に入れられた。
 白痴や素行不良者と一緒に扱われ、この世界の事を学んだ。
 この世界は、第二次大戦でドイツとソ連が協定を結ぶ代りに、ソ連が米国と連係して連合軍を形成し、
 ナチスドイツを敗退させたようだな。
 それは正しい選択だったと思う。
 しかしこの世界でも同じように冷戦があった。
 しかしあの世界と異なり、この世界では冷戦がソ連の崩壊を助長させる原因だったと思う。
 共産圏の人民にとっては、他人の芝生がさぞ青く見えた事だろう。
 あの世界の私達はそんな事は思わなかった。どちらの芝生も枯れていた。
 そして何を革命の為の指針にすべきか全く分からないまま、地下活動を続けているんだ。
 だから独ソ冷戦構造は揺るがない。
 独ソの指導者達は冷戦を続けるフリをして、バーターでそれぞれの既得利益を貪り続けているんだ。
 それがどれだけ絶望的な事か分かるかい?」


44 :オーバーテクナナシー:2008/08/05(火) 01:37:48 ID:hy0iecU7
「私はあの世界とこの世界を分ける歴史の分岐点はどこだったか調べたよ。
 要因の一つは日露戦争にあったろう。
 こちらの世界では日本は戦争に勝ち、
 その後中国大陸に地歩を置いて、アジアに勢力を保ち得たお陰で、第二次大戦に能動的に参戦し、
 敗退して後も、戦前のノウハウを生かして戦後復興を成し遂げたんだ。
 こんなに繁栄しているとは今でも信じられないな。
 これで不況だとか言っている奴は、そうとうな怠け者だと思うよ。
 他の分岐点は、おそらく20世紀に入ってからの米国やロシアの振る舞いにあるだろう。
 なぜこちらの世界では、ロシア革命が1921年では無く1917年だったのか、
 米国の第二次大戦時の大統領が、ウィルキーではなくルーズベルトなのか、まだ分からない。
 ただ一つ言えるのは、米国の勝利は、世界人民にとって福音であったと言う事だ。
 昨今のテロや戦争は、
 米国が結局のところ、ナチスドイツやソ連と何ら変らない本質を抱えている事を示唆しているが、
 少なくとも米国が表向き標榜する自由民主主義は、世界人民の大多数が支持する所だろう。
 自由民主主義は誰もが自由な意思と行動を保ち、また尊重し合っていける。
 あの世界では全てが逆で、世界人民の大多数が抑圧され、思想と行動を制限され、
 誰もが互いの意見を尊重していない。
 密告が通例であり、暗黙の内にリンチや暗殺が日常茶飯事になっている。
 大多数が飢え、富はごく一部の人間に握られている。
 だから本当に、この世界に来て良かったと思う。

 ただ、気掛かりなのは、私の妻と子供二人があの世界に置き去りだという事だ。
 多分私は、あの連絡船攻撃で死んだと伝えられているだろう。それがあの状況では当然だからだ。
 だけど出来れば、私の家族をこの世界に連れて来たいと願っている。
 だから今は、貿易会社のつてでロシアにある某物理研究所と連絡を取っている。
 そこは、量子宇宙物理学を専門で研究しているそうだ。
 研究所の所員にいきさつを話すと、私の話は信じられないと言ったが、
 巨視レベルで異なる時空連続体と情報を伝達する事は可能だそうで、
 その先の話は私には理解出来なかったが、どうやら見込みはありそうなのは分かった。
 しかし、もしあの世界と連絡が取る技術が開発されるにしても、完成までに何年もかかるだろう。
 しかし私には、それ以外に待つべきものが無い。
 一生かかっても待つよ」


72 :オーバーテクナナシー:2008/08/23(土) 19:50:12 ID:9uCi1N/N
>>44ウィルキーの死因は心臓発作らしいけど、何かあるかもしれないな。


63 :オーバーテクナナシー:2008/08/14(木) 12:43:15 ID:fUtYzHZ1
ジョン・タイターの未来と似ているのも面白い


69 :オーバーテクナナシー:2008/08/23(土) 17:41:51 ID:GmaPgA55
1です。
すいません、盆休みで実家に帰ってたり、その後急に仕事が忙しくなったりしたので・・・

とにかく、話を聞いた後にちょっと質問をしていましたので、少し編集して載せようと思います。

Q「あちらではどんな仕事をしていたのですか?」
A「中等学校を卒業して、兵役までは岩石採掘の助手をしていた。
 除隊してからは、花巻にある集団農場で働いていたが、
 ドイツ軍爆撃機によって、岩手山から駒ヶ岳にかけての要塞が爆撃されて以来、
 宮城の集団農場に合流して作業していた」

Q「科学技術はどの程度発達していたのですか?」
A「各家庭に一台は電話器やラジオを設置する義務があって、そのラジオは辞書と同じ位の大きさだった。
 電話は手回し式だったな。
 TVはある程度義務奉仕をすれば供給されるが、白黒で画面も小さかった。
 宮城第4区集団農場の管理舎では電算機が置いてあったが、
 この世界の電卓程度の性能で、大きさはこちらのパソコン位だった。
 兵役では、結構複雑な通信装置を扱わせてもらえたよ。
 農場用肥料の改良は、農場の裁可でしょっちゅうしていたが、
 中央から送られてくる作物の種や苗は、中央で遺伝子改良されたものだと教えられた。
 あと、中等学校の映像講習で、月を探検するソ連宇宙飛行士の映像を見た。
 詳しくは教えてくれなかったが、ドイツでも月宇宙船を開発していたらしい。
 宇宙開発競争の結果、ソ連が1968年10月14日に人類初の月面着陸を成し遂げたとあるが、
 地下組織内の噂では、独ソとも月面着陸を成し遂げてないそうだ。
 だから、この世界でも米国が月面着陸を成し遂げたそうだが、実はウソかも知れないよ」


70 :オーバーテクナナシー:2008/08/23(土) 17:48:18 ID:GmaPgA55
Q「娯楽はどうしていたのですか?」
A「普段は、家族でラジオや、農場で働き始めて5年目に勤労褒賞として供給されたTVを見て過ごしている。
 TV番組は集団劇とか、労働歌謡とか、紀行番組とかをやっていた。
 中でも一番は、偉大なる革命家篠原一族の喧伝番組だよ。
 この世界ではTV局が幾つもあるし、コメディ番組を初めて見た時はビックリしたよ。
 子供に見せてやりたかった。
 時々、農場組合の誘いで、集団運動会をやる事もあった。
 いずれも単調な運動で、サッカーとか野球なんかは、試合をするのに人民局の許可が必要だったな。
 あと一年に一回、
 篠原知治(シノハラ・トモハル)国家主席の誕生日に、人民最大の祝賀を行わなければならず、
 農場の管理長が、これは娯楽だから楽しんで祝えと言ってくれたよ。
 何で主席の来ない仙台の大通りで行進する事が娯楽なんだ?って思ったね」

Q「兵役はどんな感じでしたか?」
A「私は人民陸軍第四方面軍団に配属されて、
 1年の基礎訓練をしてから、第三機械科部隊で装甲車の操縦士になった。
 といっても、操縦助手みたいなもんだが。
 兵役が終わる頃には、T72戦車に乗せてもらった事もある。
 基礎練の時はかなりきつかった。
 中等学校の頃に軍事教練の時間があって、模擬戦なんかもやったけど、それとは比べようもなかった。
 少し遅れたりすると、教官が平棒で思い切り腹や背中を叩くんだ。
 上官に口答えなどしようものなら、平棒の面でない方で頭や顔を叩くんだ。
 とすると顔中から血を吹き出して、殆ど死んだようになって動かなくなる。
 基礎練中に部隊から失踪した奴は数知れんよ。
 演習中に逃げ出した兵士を捜索して射殺する、山狩りに参加した事もある。
 しかし、『グスコーブドリ』のシンパと初めて接触したのも、会津の基礎訓練所だった。
 部隊の士官は結構多くが、諏訪少尉も含めて実はこういった組織の細胞だったらしいんだ。
 最初に配備されたのは八郷の駐屯地だった。
 何度か筑波山要塞から前線中立地帯へ偵察に行って、ドイツ軍の特殊工作部隊と何度か交戦した事もある。
 いや、ドイツ軍といっても、実際は薬で洗脳されたみたいに濁った目をした東洋人兵士ばかりだったが。
 頭にプラグみたいなものを付けた捕虜を見た事もある。どっちの軍がやったかは分からんが」


71 :オーバーテクナナシー:2008/08/23(土) 18:00:10 ID:CMlS5WHH
1です。
そういえば、彼と話していた時に、
彼の乗った船が潜水艦で攻撃された時に受けたという左腕の傷と、
上椀部の、兵役時に敵の銃で撃たれたという傷跡を見せてもらいました。
首筋にも、白兵戦時にナイフで切られた(と称する)傷もありました。
また右腕には、キリル文字と数字が彫り込まれた奇妙な入れ墨もありました。
確か『цяеа-12448066-1988』とありました。
彼によると、これは北日本政府がその国民全員に付ける社会登録番号だそうで、
цяеа(ツェー・ヤー・イェー・アー)は彼が生まれた地域記号、12448066は彼の地域内登録番号、
最後の1988は、彼が兵役に入った時にその初年(1988年)が刻まれるそうです。
これが南日本になると、腕にこちらのバーコードにあたる同心円の入れ墨が入るそうで、
あちらの全世界全ての政府は、このような非支配階級の管理方法を取っているそうです。
最も、彼はただのヤクザ上がりの男であり、
彼がでっち上げたこれらの話に真実味を持たせる為に、自ら入れ墨を入れたのかも知れませんが・・・

結局、彼とは、例のバーで3回位会ったきり、会っていません。
最後に会った時に彼は、ロシアに長期出張に行くと言っていた気がします。

あの後で、色々調べてみようとも思ったのですが、
自分が急に忙しくなってしまったので、結局何もしませんでした。
ひょっとしたら、彼が八戸で助けられたと言う頃の、該当する地方の新聞に、
何かその事に付いて記事が載っているのかも知れませんが、調べてはいません。

しかし、彼の話す内容は何故か説得力に満ち、真実味がありました。
そして、彼の話が万一真実だったら、と思うと戦慄を禁じ得ず、
同時に私達がいる社会が、非常にあやふやな、不安定な土台の元に立っているように感じられてなりません。


80 :オーバーテクナナシー:2008/09/21(日) 23:40:32 ID:LhpyLKHw
結局、>>1が「彼」にそれきり会ってない以上、このスレもこれっきりなのか


88 :オーバーテクナナシー:2009/02/10(火) 15:08:53 ID:28HlenrL
パラレルワールドは無限にあるからね。
1の様な絶望的な世界観も存在してるし、もっと素晴らしい世界観も存在してるだろ。
だって無限だよ無限。


147 :オーバーテクナナシー:2009/11/11(水) 15:41:35 ID:XnENl9wA
事実だと仮定した場合、平行世界から来たとは限らないかもね。
理由は分からないが、歴史の変化に置き去りにされた、本来なら因果律から消滅するはずの人が存えたのかも。

あるお寺の祈祷師に、癌と診断された甥の健康祈願をした女性がいたが、
祈祷した結果かは分からないが、その後癌は誤診だと判明した。
あるいは祈祷は癌を治療したのではなく、癌が最初からない事になった…
仏の力とはそういう物ではないかと思わせる話だ。

物理的には、特殊相対論、因果律、超光速のうち、いずれか一つが実在しない事が分かっている。
特殊相対論は証明済み。因果律は記録や記憶が因果関係の結果である以上、確かめようがない。
超光速は一般相対論の中では許容される。
なら、淘汰されるのは因果律ではないか?
歴史は何度も書き直され、この件を考えれば、人類にとってマシになっていくのかも。
癌の誤診も小さな変化だが、好感の持てる方へと変化したように見える。

しかし、この仮定を取ると、当人の妻子は因果律の変化の中で消滅してしまった事になる。


152 :オーバーテクナナシー:2009/11/14(土) 15:39:30 ID:bg7RWNB9
この世界は運が良かった。


153 :オーバーテクナナシー:2009/11/14(土) 22:12:24 ID:gO07YadX
それはあるね。いま奇跡的なバランスの上に乗っかってるんじゃないかな。

関連話:『違う世界から来た』 『パラレルワールド』

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