師匠シリーズ。
「『先生 後編』1/4」の続き
【霊感持ちの】シリーズ物総合スレ10【友人・知人】
756 :先生 後編 ◆oJUBn2VTGE:2009/09/04(金) 22:14:39 4o0HgrnU0
「そうね。だからその時タロちゃんが見た顔は、前に見た顔と違ってたのは確かだわ。
タロちゃんが前に見た顔っていうのが、あなたが昨日一人で見た、本当の顔入道の顔だったはずよ。
笑っていた顔が今度は怒ってたんだもん。それはビックリするよね」
え?ってことは、どういうことになるんだ。
首を傾げる僕に、先生は噛んで含めるように語り掛ける。
「言ったでしょ。あなたが最初に見た顔は、岩に描かれたものじゃなかったって。
かと言って、人が後ろに隠れられるハリボテでもない。
白い塗料のついた尖った岩という、同じ目印があるんだから、場所が違っていたわけでもない。
……たぶん、厚手の紙を顔入道の岩に被せて、その上から白い塗料で別の顔を描いたのよ。
笑っている顔の上に、怒ってる顔を」
その真下の尖った岩の塗料は、その時についたのね。
先生は僕の目を見ながら、確かめるようにゆっくりと言う。
確かに、それならほとんどかさばらないから、抜け落ちた牙のように見えた白い岩との位置も変わらない。
でも、それでは人間も隠れられなくなってしまう。
「誰かが隠れる必要なんてないのよ。顔は勝手に変わったんだから。『怒る前』から『怒った後』に。
さっき言ったみたいに、『怒る前』の顔と『怒った後』の顔は全く同じものなのよ。
ただ、それを見ていた人間の心理が違っていただけ」
ドキドキしてきた。だんだんと先生の言いたいことが分かってきたからだ。でも、そんな。そんなことって。
「あなたが始めにその顔を見た時、
眉間に皺を寄せて、口なんかへの字に曲がって、迫力満点で睨みつけてくる、その表情に驚いたんでしょ。
さっき私がそんな顔をした時、あなたは怒られると観念した。
なのに顔入道の時は、その顔は怒っていないと思ってしまった。
さあ、それはどうして?」
その答えは分かる。今思い出した。あの時の言葉を。叫びそうになった僕を勇気づけてくれたその言葉。
『よかった。まだ怒ってない』
シゲちゃんだ。僕の隣で、あの時確かにそう言った。
シゲちゃんが、この顔入道の事件の犯人だったんだ。
757 :先生 後編 ◆oJUBn2VTGE:2009/09/04(金) 22:18:48 4o0HgrnU0
僕の中ですべてが繋がって行く。先生は静かな口調でその手助けをしてくれた。
「最初からシゲちゃんのイタズラ計画だったのよ。
それも、本当は臆病なのに、口ばっかり強がりなタロちゃんを標的にした。
私が秘密基地の話を思い出してと言ったのは、
顔入道をその晩に見に行こうなんて言い出したのが、シゲちゃんだったってことを思い出して欲しかったの。
あなたは変な勘違いをしたみたいだけど」
僕は椅子に座り込んで、じっと先生の説明を聞いていた。
春ごろに顔入道の噂を聞いて見に行った悪ガキ仲間は、洞窟の奥で笑っている顔を見た。
そして、イタズラ好きでしかも手先の器用なシゲちゃんが、その顔を怒らせることを思いつく。
紙を貼り付けて、その上からペンキかなにかで顔を描き、その準備が終わった後に、
新入りの僕を連れて行くという名目でみんなを誘う。
標的は生意気なタロちゃんなのだから、ほかの臆病者たちが逃げても構わない。
むしろ大勢で行ってしまう方が、みんな変に気が強くなってしまって、
マジマジと見られて、細工がバレてしまう可能性があったのだから好都合だ。
首尾よく三人で洞窟に辿り着いた時、タロちゃんが入りたくないとゴネだす。
無理やり引っ張っていく手もあったが、そこでシゲちゃんは名案を思いつく。
笑っている顔を見ていない僕を連れて先に入り、タロちゃんには後からこいというのだ。
承知したタロちゃんを残して洞窟に入ったシゲちゃんは、怒っているような顔を見て驚く僕に、
『よかった。まだ怒ってない』と言って安心させる。
そう言われればそう見える顔だったから。
当然僕は、前にシゲちゃんたちが見にいった時の顔のままだと思った。
しかし、約束通り後から入ったタロちゃんにとっては、まさしくそれは笑っていたはずの顔が怒った後の顔だったのだ。
そして悲鳴を上げて逃げ出す。
ここまでは計画通りだったのに、
まさか洞窟から飛び出して崖から転落してしまうほど、タロちゃんが怯えてしまうとは思わなかった。
怖くなったシゲちゃんは、自分のイタズラだったことを誰にも言わずに、次の日こっそり仕掛けを片付けに行った。
僕が笑っている顔を見たのは、その後だったのだ。
そう言えば昨日、シゲちゃんは僕より先に家を出ていた。懐中電灯も見あたらないはずだ。
なんてこった。シゲちゃんが全部。全部やっていたのか。
759 :先生 後編 ◆oJUBn2VTGE:2009/09/04(金) 22:25:50 4o0HgrnU0
僕は呆然として説明に聞き入っていた。
「笑っている顔の塗料が古かった時点で、怒っていた方が張り子なのは間違いないわ。
そしてその張り子を見て、 『どうってことない。こないだと一緒』なんて言ったシゲちゃんが、
その仕掛けを知っているのも間違いない。
もし春に見たという顔も、その時点ですでに張り子だったとしたら、
同じ顔を見たことになる、タロちゃんの過剰な反応に説明がつかないしね。
あとは推理を広げれば簡単だわ」
先生は黒板に点を三つ、カン、カン、カン、と書いた。
「ゆ・え・に、犯人はシゲちゃん。この点三つのマーク∴は、もう少し後で習う記号なのよ」
チョークをそっと置いた先生が静かにそう言った。
その記号も、チョークを置く指も、眉毛の上に揃えられた髪も、その時の僕にはなにもかもカッコよかった。
見とれる僕に、不思議そうな顔をして先生は首を傾げた。
太陽はゆっくりと高く昇って行き、教室に伸びる陽射しは、机や木の床から少しずつ引いて行った。
その後、僕は算数の続きをやった。
同じ問題なのに、教えてくれる人が違うだけで、こんなにも楽しいなんてなんだかおかしい。
せっせと問題を解く僕のそばで、先生は鶴を折っていた。
そして、いくつか数がまとまると立ち上がり、窓際に掛けた千羽鶴にまた仲間を増やすのだ。
それをずっと繰り返している。
僕は、いつかは夏休み学校の子どもたちの風邪が治って、ここが二人だけの空間でなくなることも、
そして、朝が昼になり、それから午後になるように、夏もいつかは終わり、
僕がここを去る日がくることも、信じたくなかった。
だから、今日が先生に出会って何日目なのか数えたことはなかったし、
その毎日はふわふわとした夢の中にいるようだった。
一体いつからほかの子どもたちが風邪を引いているのか、考えたことはなかった。
先生の時どき見せるぼんやりした、そしてどこか哀しい表情も、
その奥に隠れたもののことも、理解しようとはしなかった。
ただひたすら僕は問題を解いた。歴史を知った。夏の中にいた。
761 :先生 後編 ◆oJUBn2VTGE:2009/09/04(金) 22:29:24 4o0HgrnU0
「よく出来ました。じゃあ今日はここまで」
先生が僕の答案を見てそう言った。もうお昼過ぎだ。夏休み学校の時間もおしまい。
僕は帰り支度をしながら、なんとなく口にした。
「先生。怒ったふり、すっごく上手かった」
本当だった。近づいてきた時、絶対叩かれると思ったのだから。
それを聞いて先生は、あはっと笑った。とても嬉しそうに。
「ありがとう。驚かせてゴメンね。でも、迫真の演技じゃないと意味なかったから。
錆付いてると思ってたんだけどな。私これでも役者を目指し……」
きゅっ、と口が閉じられた。
顔が一瞬強張り、そしてこくんと喉が動いた後、先生は目を伏せたまま声もなく笑った。
風が吹き渡るどこまでも高い空の下で、ほんのひと時僕の前に覗いた先生の夢は、ゆっくりと閉じられていった。
それは、どうしようもなく繊細で、綺麗だったけれど、
きっと、いつまでも見続けてはいけないものだったのだろう。
コン、コン。
咳が聞こえた。
どこか遠くから聞こえた気がした。
でも、目の前で先生が口を押さえている。とても落ち着いた顔をしていた。
「私も」
ただの咳払いではなかった。少しおいて、先生はまたコン、コン、と咳をした。そしてゆっくりと顔を上げる。
「ゴメン。私も風邪を引いたみたい。うつるといけないから、明日からお休みにしましょう」
そんな。そんなのはいやだ。風邪なんかへっちゃらだ。だから休みなんて言わないで。
そんなことを口走る僕を押しとどめ、先生は目を細めて言う。
「駄目。悪い風邪なのよ。治ったらきっと、世界史の続きを教えてあげるから」
だだをこねる僕に、先生は諭すように肩に手を置く。
「今日はあなたも顔色が悪いわ。あなたも少し休んだ方がいいみたい」
そんなことない、そう言って飛び跳ねようとして、グラッと膝が落ちる。
だめだ。やっぱり朝から調子悪い。風邪なんかじゃないのに。
悔しかった。もう二度と先生と会えないような気がした。
顔を背け、またコンコンと言ってから、先生は僕の目を見る。
763 :先生 後編 ◆oJUBn2VTGE:2009/09/04(金) 22:34:04 4o0HgrnU0
「あなたが始めに洞窟に入った時、不思議な幻を見たわね。赤い着物がヒラヒラしてるのを」
終わってしまったはずの事件のことを、急に言われて戸惑ったけれど、なんとか頷く。
「怖い怖いと思う心が生んだはずの幻なのに、
まったく関係がない赤い着物の幻なんて、どうして見たんだろうと、あなたは思った」
そうだった。どうして赤い着物なんだろうと。
でも、結局洞窟の奥には隠れられる場所もなく、誰もいなかったのだから、ただの幻には違いない。
そんな僕に、先生はゆっくりと首を振る。
「この村ではね、若くして死んだ女の子には、白い経帷子ではなくて、赤い着物を着せて弔うのよ。
その子の嫁入りのために貯めていたお金で、残された親が最後のお祝いをしてあげるの。
晴れのない袈なんて、あんまり可哀相だもの。
もっとも、今はもうしていない、大昔の風習だけれど。
そして、あの洞窟のある山は、死者の魂が惑う場所として恐れられていた所なの。
即身仏になったお坊さんは、それを鎮めるために入山したと伝えられているそうよ」
なんだか変な気分だ。僕が見たものは、ただの幻ではなかったのだろうか。
「いいえ、幻よ。もうこの世にはいない。でも、あなたはそれを見る」
先生の目が、吸い込まれそうに深く沈んだような輝きで僕の目を捉える。
「あなたは、誰にも見えない不思議なものを見るのよ。これからもずっと。
それはきっと、あなたの人生を惑わせる」
唇がゆっくりと動く。滑らかに、妖しく。
「それでも、どうか目を閉じないで。晴れの着物を見てもらえて嬉しかった。
そんなささやかな思いが、救われないはずの魂を救うことがあるのかも知れない」
僕はゴクリと唾を飲んだ。それから二回頷いた。何故か涙があふれ出てきた。
先生は「さようなら」と言った。
僕も「さよなら」と言った。
ふらふらとしながら教室を出て、廊下を抜け、階段を下り、下駄箱で靴を履く。
そして校庭に出て、少し歩いてから振り返る。
二階の教室の窓には先生がいる。出会ったころのままの笑顔で。
その隣には千羽鶴が揺れている。千羽にはきっと足りないけれど、たくさんたくさん揺れている。
「『先生 後編』3/4」に続く
次の記事:
『先生 後編』3/4
前の記事:
『先生 後編』1/4