「『UFOと女の子 夏』」の続き
原著作者「怖い話投稿:ホラーテラー」「なつのさん」 2011/01/09 06:43
あの夏から約十年が過ぎた。大学二年の冬休みのある日。
ひょんなことで故郷の街に戻ってきた僕は、友人のSとKと三人であのデパートを訪れていた。
そのひょんなことと言うのは、冬休みに入る前、大学の学食で三人で昼食を食べていた時のこと。
Kの提案で、その場でそれぞれ子供時代の不思議な思い出を語ることになり、僕はあの夏デパート屋上での話をした。
それに思わぬ食いつき方をしたのが、オカルティストのKだった。
「うおおUFOとかマジかよ!なあ、今度さ、そのデパート行ってみようぜ」
僕が散々十年以上前の話だし今行っても仕方がないと説明しても、Kは聞く耳も持たなかった。
「居ないなら居ないで、ショッピング楽しめばいいじゃん。別に誰が損するわけじゃねえし。いいだろ?」
「うはは」と笑うKの横で、Sがぼそりと「……ガソリン代はどっちか出せよ」と呟いた。こうなればもう止まらない。
かくして数日後、冬休みに入った僕らは、Sの運転する車に乗って僕の故郷へと出発したのだった。
僕は県内の大学に進学したのだけれど、実家のある街までは国道なら車で大体三時間はかかる。
朝の九時頃から車を走らせ、デパートの外観が見えてきたのは陽も昇った正午過ぎだった。
ちなみに、面倒くさいので実家に寄らなかった。日帰りだし、どうせ年末戻って来るのだし。
Sが立体駐車場の一階に車を止めた。周りは昼時だと言うのに、繁盛しているとは言えない駐車状況だった。
おそらく、街の郊外に大手の大規模なショッピングモールが出来たせいだろう。
昔、このデパートが街の商店街から客を奪ったのと同じことだ。
駐車場から店内に入る。
確かに昔ほどの人込みはないけれど、胸にこみあげてくるものがあった。
実は約十年前、屋上でわんわん泣いたあの日から、僕はこのデパートには近づかない様になっていた。
母の買い物に付いて行くのも止め、中学生の頃も、高校に上がってからも避け続けた。
そうして、消えたUFOのことも、そこで出会った女の子のことも、これまで周りの誰にも、親にさえ話したことはなかった。
何故かと訊かれると、僕にも分からないと言うしかない。
だから、どうしてその隠してきた話をKとSの二人だけには打ち明けて、
今自身も十年とちょっとぶりにこのデパートにやって来ているのかも、当然分かっていない。
強いて言うなら、魔が差したんだろう。
僕らは一階からエスカレーターを使って四回まで上がった。屋上へは四階から階段を使わないといけない。
階段へ向かう途中、百円ショップの隣、昔いつも買い物をしていた駄菓子屋の横を通る。
ふと横目で見ると、レジの方に見覚えのある店員さんの姿を見つけた。
十年前と変わらぬ陳列棚にも、昔と同じ駄菓子が並べられていた。あのラムネ菓子もあった。
屋上へと続く階段は手すりの白い塗装が記憶よりも随分剥げていて、錆びた鉄の部分が露出していた。
屋上への入り口が見えた。前を行く二人の友人の後ろで僕は一度立ち止まる。
夏。階段を一段上るにつれて差し込んでくる光の量は増していき、青い空と沢山の遊具が徐々に徐々に見えてくる。
それが何だか無性にワクワクして、途中から僕はいつも走って駆けのぼるのだった。
その記憶の中の光景に比べると、冬の光は弱く、空は少しくすんでいる様に見えた。
いつの間にか階段を上がりきり、僕は屋上の入り口に立っていた。
こんなに狭かったかなと思う以外は、屋上は最後に見た記憶のままだった。
やはりUFOのあった場所は、ただの空きスペースのままだった。
僕ら以外に人影も見当たらない。音を立てて吹く冬の風のせいか、遊具で遊ぶ子供の姿も無かった。
「さみいなあ。なあなあ、ところでUFOどこよ?」
ポケットに手をつっこんだKがそう訊いて来る。僕は黙って昔それがあったはずの場所を指差した。
「何もねえじゃん」
「僕はゆった。今行ってもなんも無いよって」
「ふーん。UFOだけに、宇宙まで飛んでっちまったのかねえ……」
つまらなそうにそう言うと、Kはクモの巣状に張られたネットの真ん中にトランポリンがある遊具に向かい、
一人でポンポンと跳ね始めた。
ふと見やると、Sが昔UFOがあった場所で俯いて地面を見つめている。
そばに近づいてみると、彼はUFOの支柱をとめていたボルトの跡を見ているらしかった。
「確かに、ここに何かはあったんだな」とSが言った。
「え、何。僕の話、信じてなかったん?」
「記憶ってのは簡単に曲げられるし、一部消えたり、書きかえられることだってあるからな。特に子供の頃の思い出はな。
信じてなかったわけじゃない。鵜呑みにしなかっただけだ」
「あそう」
「ただ、まだ呑み込めない部分もあるけどな」
「え……、何それ、どこ?」
Sは僕の問いには答えず、トランポリンの次はジャングルジムに上りだしたKの方をちらりと見やってから、
一人階段へと向かって歩き始めた。
「腹減った。とりあえず下に降りて、飯食おうぜ」
けれども、僕は先程の言葉が気になって仕方が無い。
「ねえ、僕の話の、どこが引っかかってるんよ」
するとSは振り向いて、
「お前の記憶の中にある、店員の対応。それと……」
何故かSはその後の言葉を口にするのを、一瞬だけ躊躇った様に見えた。
「……それと、お前が、確かに教えてもらったっていう、女の子の名前を覚えていないこと」
そう言って、Sはまた階段へと向かう。
隣ではKがいそいそとジャングルジムから降りてきていた。
そんな二人の様子を見ながら、僕はその場に立ったままSの言葉の意味を考えていた。
店員の対応と言うのは、『UFOなんて知りません』 と言ったあの言葉のことだろう。
でも、実際に屋上からUFOは忽然と姿を消したのだ。まるでそんなもの最初から無かったかのように。
もう一つは彼女の名前。
あの時の光景は今でもはっきりと覚えている。
蒸し暑いUFOの中で、天井の丸い窓からスポットライトみたいに円柱状の光の筋が注いでいて、
目の前の女の子は、笑顔の内に少しだけはにかんだ表情をしている。
その口が動く。けれどもここだけが、耳を閉じたわけでもないのに、何を言っているか聞こえない。
外ではしゃぐ他の子供たちの声も、辺りに広がる街の喧騒も消える。無音。
一時期は、本当にアブダクションされて宇宙人に記憶を消されたのではないか、と思ったことさえある。
今思えば微笑ましい妄想だけれど。
でも確かに、Sの言う通り何かが引っかかっている気がした。
形のはっきりとしない何かが、伸ばしても手の届かないギリギリの辺りを漂っている様な。
僕は目を瞑り、集中して、その何かを掴もうとした。
「おーい。そんなとこで突っ立ってんなよ。早くこいよ」
けれども失敗に終わった。その声で僕は我に返ってしまった。
見ると、Kが階段の入り口に立っている。Sはもう階段を下りてしまった様だ。
僕は頭を振って、歩きだそうとした。
その時、ふと視界の隅に何かが映った。
昔UFOがあったスペースの隅に、ぽつんとジュースの空き缶が置かれてある。空き缶には一輪の花が差されてあった。
紫色の花。
頭のどこかがうずいた様な気がした。僕はその花の方へと少し近づいた。
花は折り紙だった。上手く作ってあって、遠目からは本物の花に見える。茎も葉もある。
空き缶は上部が缶切りか何かで切り取られていた。
まるで献花のようだ。
あの日と同じく冷たい風が吹いた。
その瞬間、今度こそ僕は、僕の中で漂っていたそれを掴み取っていた。
ああ、そうか。
だからか。
だからあの日、UFOは忽然と姿を消して。
だから店員は僕に、『UFOなんて知らない』と言って。
だから僕は、彼女の名前を忘れることにした。
僕は全てを思い出していた。
でもそれは鈍い痛みを伴っていた。あのまま忘れていた方が良かったのかもしれない。
僕は空を見上げ、誰に向かってでも無く、声にも出さず問いかける。
もう一度、忘れることは出来るだろうか。
答えは自分の中から返って来た。それは出来ない。
「……おいおいおい、何やってんだよ。さっきから一体全体よ」
僕のすぐ後ろでKが怪訝そうな顔をしていた。
それと、あんまり遅いから戻ってきたのだろう、階段の入口の方にSの姿も見えた。
僕は何を言うことも出来なかった。そのまま歩きだし、黙って二人の横を通り過ぎた。
背中にどっちかの声が当たったけれど、あまり気にならなかった。
階段を下りて、僕の足は四階の駄菓子屋の前で止まった。
中に入ると、十年ぶりの店員さんが笑顔で迎えてくれた。
当然だけれど、僕のことなんか覚えていないだろう。
たとえ覚えていたとしても、僕自身十年前とは顔も体つきも変わっている。
友人二人は駄菓子屋の外で呆れたように僕の様子を眺めていた。
僕は駄菓子をきっかり百円分買った。
あの頃と同じ、三十円のラムネや、当たり付きのフーセンガムや、スーパーボールみたいな飴玉を。
「あの……、覚えてますか?」
カウンターで百円玉と十円を一枚ずつ出しながら、僕はレジを打つ店員にそっと尋ねてみた。
その痩せた五十代前半くらいの男性はふと僕の方を見やると、「何のことですか?」と問い返してきた。
やっぱりというか、僕のことは覚えていないようだ。
「あの僕、久しぶりにこっちに帰ってきたんですけど。……昔、屋上に、UFOの遊具があったでしょう」
すると、店員は「ああ」と肯定の声を出した。
「ありました、ありました。うん、確かに。UFOでしょう。グラグラ揺れる」
僕は頷く。UFOはあったのだ。最初から無かったのではなく、僕の記憶違いでもなく。確かに屋上に存在した。
呼吸を一つ。
「……でも、事故が原因で無くなったんでしたよね?たしか、女の子が、巻き込まれた」
僕が熱を出して寝込んだ日。TVである事故のニュースが流れた。
デパートの屋上で女の子が遊具から転落して、意識不明の重体。
原因は、他の子供達が外から遊具を揺らし、バランスを崩したからだと。
けれども、店員は少しばかり眉をひそめ、僕の方を見やった。
「あなたは、ライターですか?」
警戒しているのだろうか。
「いえ。大学生です。昔よくここに、駄菓子を買いに来てました。いつも百円分。
たまに消費税の五円は、まけてくれたりしてましたよね」
店員の表情が崩れたのが分かった。
話してもいい相手だと思ったのか、もしかしたら僕のことを思い出したのかもしれない。
実は話し好きだったらしい痩せた店員は、それから色々と教えてくれた。
「そうですね。もう大分昔のことですし。
……ええ、確かに。夏ですね。夏の終わりごろ。屋上で女の子が遊具から転落する事故がありました。
意識不明の重体で、打ちどころが悪かったんでしょう。数日後に、亡くなったそうです」
彼女の意識が無かった数日間、僕は熱を出して寝込んでいた。
「その時、子供が数人、周りに居たんですよね」
「はい。数人がかりで、中に上るための紐を持って遊具を揺らしてたそうです。
見かけたここのスタッフが止めに入ったそうなんですが、間にあわずに……」
そうして彼女は、落ちて、死んだ。
「だから、遊具を撤去した?」
「そうです。普通の怪我ならともかく、死者が出たんですから。
それにあの頃は、他の公園なんかの遊具も、アレは危ないから外せだの、色々と言われていた時期でしたから」
「……僕、あのUFOが好きだったんですよ。でも、ある日屋上に行ったら、いきなり、無くなってたんです。ショックでしたよ。
店員さんに訊いても、UFOなんて無い、知らないって言われましたし。何が何だか、分からなくって……」
「ああ……、それはすみません」
そう言うと、店員は僅かに頭を下げ、先程よりも小さな声で、
「確かな話じゃありませんが。あの亡くなった女の子は、学校で苛められてたんじゃないかって。
止めに入ったスタッフが、色々酷い言葉を聞いたそうです。
だからというか、あの時は、取材と称した方がたくさん来られましたよ。
店員は下で働いているんだから分かるはずもないのに、事件の様子とか、細かくね。
中には、子どもを使って訊き出そうとする輩までいたそうですよ」
だからあの時、店員は僕に対して『UFOのことなんて知らない』 と言ったのだ。
おそらくは、店の方から事件については何も喋らない様にと言われていたのだろう。
「可哀そうにねぇ……」
遠い目をしながら痩せた店員は呟いた。
「あの子の父親は、このデパートで働いていたんですよ」
「え?」
「あ、いえ。と言っても私はあまり関わりも無かったんですが。傍から見ても、仲の良い親子だったんですよ。
お父さんの方は朝から夕方までここで働いて、夜はまた別の仕事があったそうですが、
あの子は、いつもお父さんのことを待っていてね。
二人、下で夕飯の材料を買って帰るんです、いつも。
料理はあの子がしてたそうですよ。何でも、母親が病気だったそうで」
「病気……」
「ええ。病名は忘れましたが、大分特殊な病気だったそうで」
『私のお母さんが宇宙人で。だから、私も宇宙人なの』
ふと、彼女が言った言葉を思い出した。けれども、それについては何も分からない。
彼女は自分のことに関しては、ほとんど何も話さなかった。
「もしかして、今、その父親の方は……ここに?」
「いえいえ。あの事件があった後、すぐに辞めましたよ。彼の気持ちを考えたら、とても居られないでしょう」
「そうですね。……あの、有難うございます。何だか色々と教えてもらって」
「いえいえ」
店員にお礼をして、五十円分ずつ別の袋に分けてもらった菓子を持って、僕は駄菓子屋を出ようとした。
けれど、ふと思い出して振り返る。
「あの、最後に。屋上に折り紙の花が置いてあったんですが。あれって……」
「ああ、それは多分。清掃の人が置いたものでしょう。中沢さんじゃないかな。
ああ、大層恰幅の良いおばちゃんなんですけどね。はは。あの人も私と同じくらい長いですから」
「あの花って、確か」
「ええ。スミレですね」
礼を言って、僕は店を出た。
友人は二人とも百円ショップの前で退屈そうに商品を見ていた。
Kは僕の姿を見つけた途端、「おっせーよ」と言った。
「用は済んだのか?」とS。
僕は、まだ、と首を横に振る。
「先に食べといて。一階にフードコーナーがあるはずだから」
「なになに、なんなのさっきからお前。変だぞ。なんかあったんか?それとも何か隠しててていてて痛いSイタイ」
たぶん一番状況を理解していないKが、Sに首根っこを掴まれて引きずられて行く。
僕は片手を上げ、無言でゴメンと二人に謝ってから、また四階からさらに上へのぼる階段へと向かった。
歩きながら思う。
僕は本当は全部分かっていたんだ。自宅であのニュースを見た時に。もう女の子には会えないということを。
けれども僕の頭は、それをどうしても否定したかったようだ。
高熱は出たけれど、もしかしたらそのおかげかもしれない。僕は事故の存在と彼女の名前を忘れることに成功した。
あの子はまだ生きていると、自分に思いこませるために。
彼女に会いたいがために。
僕は目を細めた。
屋上へと続く階段に、さっきまでとは違う大量の光が降り注いでいた。透明な冬の光ではなく、色のついた夏の光だ。
所々塗装がはげていた階段も、いつの間にか白く綺麗になっていた。
十年前に見た光景だった。何も変わらない。そうして今、僕はあの時と同じように百円分のお菓子を持っている。
戸惑いながらも一歩ずつ階段を上る。上りながらSが言った言葉を思い出す。
記憶は簡単に曲げられる。
だったら、一秒前の記憶はどうなのだろう?ゼロコンマ一秒前の記憶は?ゼロコンマゼロ一秒前なら?
意識と言うモノが記憶の集合体ならば、僕が今見ている景色はそういうモノではないだろうか。
そう強引に納得して歩を進めた。
光が段々強くなってくる。どこからか夏の匂いがした。子供たちの声が聞こえた。
たまらなくなって、気がつくと僕は走り出していた。階段を駆け上がる。
屋上。
そこにはあの銀色をしたアダムスキー型のUFOがあるはずだった。
そして夏の光の中、確かにそれはあった。
僕は急いでその傍へと駆け寄った。早くしないと僕に掛かっている魔法が切れてしまいそうで怖かった。
けれど目の前まで来ても、確かにUFOはそこにあった。
小さい頃は届かなかったそのボディを、僕はそっと手で触れてみる。ザラザラとしたプラスチックの手触り。
僕は縄ばしごに手をかける。入口の穴は頭のすぐ上にあった。
この中に居るのだろうか。
けれども、そこでふと立ち止まる。
このままUFOの中に入ってしまって良いのだろうかという疑問が降って沸いてきた。
いまだ魔法は解けず、僕はしっかりとあの日の夏の屋上に居る。
けれどもだ。僕は本当にこのUFOの中に入ることが出来るのだろうか。
出来る。と答える自分が居た。
でも、もし本当にそれが出来てしまったら。
縄ばしごに足をかけて、僕の身体が地面を離れた瞬間……。
この幻覚は、幻覚で無くなってしまうのではないか。
『……どうしたの?』
すぐ頭の上から声がした。聞き覚えのある懐かしい声。
縄ばしごを持ったまま、あまりの唐突さに僕は息をするのも忘れていた。
『入って来ないの?』
彼女の声。
この声すらも僕の脳が創りだした幻なのだろうか。それとも。
『お話ししようよ。私が引っ張って上げようか?』
入口の穴から小さな手がこちらに向かって伸びてきた。掌を上に。顔は見えない。手だけだった。
もしその手を握ればもう戻れない。そんな予感があった。
たっぷりの戸惑い。数秒の迷い。そして一瞬の躊躇。
そうして僕は、自分の右手をそっと彼女の手に重ねた。
重ねて、離した。
彼女の小さな手には、ラムネ菓子や、飴玉が入った袋が乗っていた。五十円分。
それをきゅっと握って、手がUFOの中へと戻っていく。
「ごめん。僕は乗れない。友達を待たせてあるから」
少し僕の言葉を吟味するような間があった。
『……ともだち?』
「うん」
『ともだちが、できたの?』
「うん」
『それは、良いともだち?』
「うん」
懐かしい。昔もこうだった。彼女が質問して、僕が答える。
『私も、良いともだちだった?』
「うん。……もちろん」
何か冷たいものが頬に触れた。
雪だった。
夏のデパートの屋上に、粒の細かい雪が風に乗ってちらほらと舞い降りていた。
そろそろ魔法が解けるのかもしれない。いつの間にか手にしていたはずの縄ばしごの感覚が消えていた。
周りの子供たちの声もしなくなった。
もう残っているのは、目の前の銀色のUFOだけだ。
僕はそれが消えてしまわない様、目を逸らさずにじっと見つめていた。
不意にUFOの入り口の穴から、こちらを覗きこむように女の子が顔を出した。
そして、にこりと笑った。僕の記憶にあるそれと寸分違わない笑顔だった。
『おかし、……ありがとう』
返事をしようとした僕の目に雪が入って、一瞬、瞬きをした。閉じて、開いて。
それだけでもう僕の目の前にUFOは存在していなかった。
雪の降る屋上には人影も無く。足元にUFOを支えていたボルトの跡があるだけだった。
僕はしばらくの間、何もしないで、ただ空を見上げていた。
僕は一体、何を見たのだろう。Sに言わせると、幻覚幻聴、または妄想ということになのだろう。
そして僕は、ふと自分の手の中にあるものを見やった。
「うおお。雪だ。雪降ってんじゃん!」
声のした方を向くと、一階のフードコートに居るはずのKとSが屋上に上がって来ていた。
見ると、Sは方手にビニール袋を持っている。
「二人共……どうしたの?」
尋ねると、Sがその手に持ったビニール袋をひょいと持ち上げる。
「屋上で食った方が美味いんじゃないかってな。下で買って来たんだよ。ほら、お前の分のサンドイッチだ」
そう言って、Sは紙袋に包まれた湯気の立つ大きなサンドイッチを僕によこしてきた。
僕はしばらくサンドイッチを眺めていた。せっかくさっき泣かなかったのに、また涙が出てきそうで。
必死に我慢しながら、無言で一口齧る。
Kの笑い声。何だろうと思った。Sも小さく笑っていた。
いきなりむせた。
辛かった。
からしだった。大量のからしが、サンドイッチのパンとパンとの間に塗りたくられていたのだ。
咳き込んで涙が出た。前言は撤回だ。こんなヤツら、全然良いともだちじゃない。
「俺じゃないぞ。主犯はKだ」
止めない時点で同罪だろう。
二人に対してあまりに腹が立ったので、僕は残りのからしサンドイッチを全部一気に平らげてやったら、もっと笑われた。
大量のからしを食べすぎるとそうなるのか、口だけじゃなくて目まで痛くなった。
三人で屋上のベンチに座って、僕は口直しに渡されたお茶を飲む。
それすらも罠じゃないかと怪しんだけれど、幸い普通のお茶だった。
「で、用事ってのはもう済んだのかよ」とKが訊いて来る。
僕は頷いた。Kは何があったのかを聞きたそうだったけれど、今のところ僕に話すつもりはない。
代わりに、手にしていた五十円分の菓子が入った袋を開け、中身をそれぞれ半分ずつKとSに手渡した。
「何だコレ?」
僕の行動を測りかねた二人が同時に尋ねて来る。
さっきのお返しだとばかりに、僕はたっぷりと意味ありげに笑って答えた。
「言わば、それはKの大好物で、なおかつ、Sが到底呑みこむことの出来ないもので……」
僕の言葉に二人は、お互い訳が分からんといった風に顔を見合わせた。
「さらに言えば、僕がさっき宇宙人にあげたもの、かな」
Sは手にしたガムを怪訝そうに見やり、Kは包を開いた飴玉を恐る恐る舐める。
僕はそれを見て、また少し笑うのだった。
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