◇ 心霊ちょっといい話VER.10 ◇
143 :本当にあった怖い名無し:2006/10/11(水) 13:38:48 ID:NYqOasr10
私のおじいちゃんとおばあちゃんの話。
おばあちゃんちにこの間泊まった時にしてくれた。
方言が激しいから、言葉は標準語で書きます。
おばあちゃんは生まれつき目が悪かったんだけど、
戦時中、9人居る兄弟の為に働いたり、ご飯とかを分けてあげたりして、
十分な食事を取らなかったから、目がほとんど見えなくなった。
その頃からばあちゃんは、人が見えないものが見えるようになった。
多分、ばあちゃんの目が見えなくなったのは、それだけじゃない。
結婚する筈の男性が、戦艦に乗って『名誉の戦死』をして帰ってきた。
その人が戦場に行く前の夜、
「たくさんの仲間達が御国の為に死んでるのに、こんな事を言ってはいけないと思うけど…
俺はあなたの為に生きて帰ってきたい。
あなたと家を作って、子供いっぱい作って、幸せに暮らしたい。
俺が漁に行って、あなたはそこの浜で子供たちと一緒に手を振って、『ご飯だよ』って待ってて欲しいんだ」
「生きて帰って来てね。待ってる。ヒュウズたくさん作って待ってるよ」
「うん、帰ってくる。腹いっぱい、あなたの作ったヒュウズ食べるんだ」
と、ばあちゃんを抱きしめて言ったそうだ。
その人と結婚式をする筈だった1ヶ月前の出来事だった。
ばあちゃんはその人の無事を祈った。
その人から手紙が届いたら何度も読み返して、
(ばあちゃんはほとんど学校に行けなかったから、平仮名とカタカナで書いてくれたそうな)
自分で拙いけど、何度も『オクニノタメニガンバッテクダサイ』と、帰ってくる祈りを込めて返事を書いた。
本当は「生きて帰ってきて」と書きたかったって言ってた。
『あなたを、ずっとずっと愛しています。忘れません。どうか幸せになってください。』
の言葉を最後に、その人からの手紙は途絶えた。
144 :本当にあった怖い名無し:2006/10/11(水) 13:40:37 ID:NYqOasr10
そして数ヵ月後、終戦を迎えた。
ばあちゃんが畑を耕していると、畑の向こうに軍服姿の許婚の姿があった。
「謙蔵さんですか」
その人は悲しそうに頷いたそうな。
「戻ってきたのすか?」
また頷く。
「じゃぁ、一緒になれんがね…」
首は横に振られた。
嫌な予感がしたのと、何やらその人の実家が騒がしいので(ご近所さんだった)行って見たら、
その人の変わり果てた姿があった。
もう骨だったみたいだけど、遺品の中に、ばあちゃんの写真と手紙があったという。
ばあちゃんが見た結構クリアな映像は、それが最後だって言ってた。
ばあちゃんはその人が食べたかったヒュウズを、食糧難の中、材料を掻き集めて、頑張って作って供えた。
ご家族は泣いてたって。「謙蔵が好きな物…食べたかったろう。ありがとう、ありがとう」と。
数年後、落ち込んで力も出ないばあちゃんに、見合い話が舞い込んだ。
相手は、ばあちゃんの住む村から遠く離れた山奥の、農家の長男だった。
それまでも何度か見合い話があったけど、ばあちゃんは断っていたそうで。
曾じいちゃんと曾ばあちゃん(ばあちゃんの父母)の勧めもあって、その人と結婚した。
その人が私のじいちゃんとなる人だ。
じいちゃんは、牛を育てたり、畑を耕したり、山に入って獲物を取ったりと働き者だけど、
お酒と煙草がやめられない人だった。
ある意味、ちょっと自暴自棄だった。
一人で大木を切り出してきたり、犬も連れずに熊狩りに行ったり。大怪我をして帰ってくることも多かった。
心配して、ばあちゃんは「もう、なんでそんな事するの」といつも泣いていたそうだ。
145 :本当にあった怖い名無し:2006/10/11(水) 13:41:35 ID:NYqOasr10
ある夜、じいちゃんが「俺はな、特攻隊に入る筈だった」と語りだした。
「特攻隊に入るかも知れないって時、俺は死んだ仲間を思い出していた。
赤ん坊の頃から友達だった近所の○○や●●だって、特攻したりでこの世に居ない。
俺がこのまま生きている訳にもいかないからな。
でも、覚悟を決めた時に、終戦を迎えた。俺は死ねなかったんだ」
と、酒をかっ食らった。
でもばあちゃんには、じいちゃんのその幼馴染とかが見えてた。
一人は航空隊、もう一人は海兵だった。
『はっちゃん、なんでそんな事するの』
『そんな事しないでくれよ、ちゃんと生きてくれよ』
と、幼馴染達は嘆いていたそうだ。
「幼馴染の人等が泣いてるよ」と言うと、
じいちゃんは少し黙って、「そうか」と言って項垂れた。
それからは、じいちゃんは自暴自棄な事を抑えた。酒と煙草はやめなかったけど。
子供は四人もうけて、一人は死んだけど、結構幸せな家庭だった。
146 :本当にあった怖い名無し:2006/10/11(水) 13:42:57 ID:NYqOasr10
時は流れて、私が生まれた。
6人の孫の中で一番年下の私を、じいちゃんは猫可愛がりして、どこに行くにも連れてった。
小さかった私は、じいちゃんの後ろを付いて歩き、
じいちゃんがちょっとでも見えなくなると、「じいちゃ、じいちゃ」と泣く赤子だったそうな。
山菜取りとかに行くときに、背負い篭に入れられて行った事も覚えている。
私が八歳の時に、じいちゃんは脳に血の塊が出来て倒れた。
じいちゃんのお見舞いには一回しか行ってない。手が痛くなるほど手を握られた。
闘病生活があまりにも壮絶で、
「●(私)の前では元気なじいやんで居たい」と、まだ大丈夫だった頃にじいちゃんは言ったそうだ。
もう何もわからなくなった頃、しきりに「ばあやん、ばあやん」とじいちゃんは言うようになった。
昼も夜もずーっと「ばあやん、ばあやん」。
ばあちゃんは目が全く見えなくなっていたので、介護できずに家にいたのですが、
ばあちゃんの妹やうちの母さん達が看病している時に、ずっと「ばあやん、ばあやん」。
「私はばあやんじゃないよ。今度ばあやんって言ったら10円取るよ」と、ばあちゃんの妹は言った。
「ふん」と頷くけど、じいちゃんは「ばあやん、ばあやん」。
死ぬときも、最後まで「ばあやん、ばあやん」と呼んでいたという。
147 :本当にあった怖い名無し:2006/10/11(水) 13:44:27 ID:NYqOasr10
そして、じいちゃんは年の暮れに逝った。72歳だった。
死ぬときに、私に挨拶をしに来た。
いつもの農作業着で、農協の帽子をかぶって、
「おー、●、ほんじゃな。良い子にするっこだぞ」と、じいちゃんは消えた。
その頃、ばあちゃんの家では玄関が開いた音がして、
ばあちゃんが「じいやんか」と聞くと、「ふん」と頷く声がしたそうで、
「逝くのか」と聞くと、また「ふん」と。
ばあちゃんは泣いた。
「お盆になりゃ帰ってくるけどね」と、笑うけど。
でも、ばあちゃんはそれから夢を見るようになった。
玄関のところにじいちゃんが立っていて、
「どこに行くの」とばあちゃんが尋ねると、「ちょっとよ」と言って歩いて行ってしまう。
家を離れて曲がり角を曲がると、じいちゃんと幼馴染達が談笑していて、死んだ娘もいる。
その中に何故かばあちゃんの昔死んだ許婚も居て、ばあちゃんを見てニコッと笑う。
そして皆で何処かに行ってしまう。
「まだ呼んでくれないのね」と、ばあちゃんは笑ってた。
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